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2019年02月12日00:56

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合戦考証24「忠興の心配」島原の乱

○江戸へ使者を送るついでに、京都の忠興へ手紙を送った忠興。その二日前にも手紙を送っていました。前の手紙「九一五番」十六日付の「現況報告」第二文をもう一度。続いて、次の手紙「九一六番」十八日付の「現況報告」第二文です。

●忠利九一五「2月16日」第二文
「一つ、各軍の仕寄も寄せて、塀際に三間半(六メートル強)で仕寄をしております。絵図にあります切り堀のところに、土俵を使って高く積み上げて、塀の裏を見下ろせるようにと上使の御命令です。十五日から取りかかりまして、好天も続くようならば、十八日には完成するでしょう。塀際に三間ですので、互いに撃ちます鉄砲も外れませんから、竹束を楯にしております。負傷者が出ないようにしております。井楼も近くに立てましたから、(城の)内部へ撃って威嚇したことで、鉄砲を城内から撃ってくることはできにくくなりました」

●忠利九一六「2月18日」第二文〜追伸
「一つ、三ノ丸は立花と当家のみですから、両軍がそろわなければ、押し込ませないと上使がおっしゃっております。ただいまは立花へ、井楼を立てよとの話をなさっています。土のない地形でございますので、井楼の土台が造れないでいるのです。そのあいだ、当家としては、何もせずにいることもないと考え、塀から三間半(六メートル強)を置いて、土俵で築山を造らせています。城の塀よりもかなり高くさせまして、そこから大筒を撃って威嚇してやれば、城内で堀の中にいる者も、こらえきれなくなるだろうと思うのです。城に近い場所での工事ですから、城中より石つぶてをひどく投げてきますので、工事がやりにくくて仕方なく、帆柱を立て、帆を張って、その陰で工事をさせています。この(手紙を届ける)者にお尋ねください。だいたいの仕寄の状況も、絵図でお目にかけます」
追伸「なおなお、何かありましたら、お伝えするつもりです。手紙のお届けがなければ、何も変わりがないのだとお思いください。まったく(船)便がなくなってしまいましたので、このように申しあげました」

○十六日の時点で、仕寄は塀から六メートルほどの距離に接近。しかしまだ「城乗り」は始まりません。上使の命令で「塀の裏が見えるくらいの築山」を造ることになりました。細川家では、俵に土を詰めて、それを積み上げることで「築山の代わり」としたようです。その作業に取りかかったのが十五日で、忠利は「好天が続けば十八日には完成する」と書いていました。次の手紙を見る限り、その作業も終わったようですね。けれども「同じ三ノ丸下を担当する立花家」では、井楼を立てるのが遅れている模様。そこで忠利は「何もせずにいることもないと考え」て、塀の近くにも土俵を積むことにしたようです。そこから大筒(大型の火縄銃)で塀の内へ射撃すれば、敵が塹壕に隠れていても、たまらずに逃げ出すだろうと考えたわけです。原文は「それより大筒にて打すくめ候はば、城内の堀之内にもたまりかね可申と存候」です。幕府では「築山を造れ。井楼を立てよ。高所から鉄砲を撃て。塀の裏に敵がいられないようにしてから乗り込め」という命令。十六日付「九一五番」の第三文で忠利は「堅い江戸からの御命令ゆえに、鉄砲で片づけるのは絶対で、立花も当家も、まずそれを守ります」と書いていました。原文は「堅江戸よりも被仰付にて、鉄砲こなしとの儀に御座候故、立花、我等も先其旨を相守候」です。ゆえに「大筒用の築山も造ろう」と考えたみたい。

○ところが「作業の場」が城に近いため、敵は石つぶてをひっきりなしに投げてくるというんです。鉄砲を撃っても「仕寄の竹束」に遮られるだけですもんね。しかし十メートルもないんですから、塀の向こう側で石を投げれば届くわけですよ。これが作業の邪魔になって、困った忠利は、柱を立てて、帆を張って、石を防ぐことにしたそうです。では、この報告を読んだ忠興の返信をご覧ください。

●忠興九一五一三「2月23日」第二文〜第五文
「一つ、仕寄が(城に)近いので、石を投げてくるためにより、帆を張られたとのこと。投げたいまつ、火矢、危ないことだと思います。どうして(敵は)焼かなかったのかと、不思議に思うことです」
「一つ、立花の側で、井楼の土台にする土がないため、その作業を待たれているとのこと。そのあいだに築山を御命じになったとのこと。もっともなことです」
「一つ、何を申し伝えましても、三百里(千二百キロメートル)を行き、また三百里を戻るのですから、ムダなことだと思いますけど、言いました。何を言ってもあとのことになってしまうので、意図をご理解ください」
「一つ、江戸への使者をよこされて、御老中衆へ差し上げられる絵図についても見せてもらいました。とても満足しております」

○これが「忠興の見解」なんですね。幕府軍が「ちまちまと仕寄を作り続けて、なかなか攻め込まない」のを「今どきの武士は城攻めもできないのかね」と「笑う」どころか、その反対です。忠利が「せっかく時間がある。いっそ近くから大筒を撃つための築山を造ろう」としたことには、第三文で「其間につき山を被申付由、尤に候事」と書いて「いいことだ」としながらも、その作業のために「帆を張った」と聞いては「なげたいまつ、火矢あぶなき儀と存候。何とて焼不申候哉、不思議に存候事」です。「なんて危ないことをしてるんだ。石を投げれば届くんだから、松明(たいまつ)を投げてきたらどうするんだ。敵がそれをしなかったのは不思議なくらいだぞ」と注意。しかも第四文に「何事を申進候而も、三百里参、又三百里もどり申事に候間、不入儀と存候へ共、申候」と書いたほど。忠利の作業は五日も前で、この返信が届くころには「十日も前」のことでしかなく、言ってもムダだとわかっていながら「書かずにはいられなかった」んでしょうね。だから末文で「何も跡くらいたるべき間、可被得其意事」と書き、「いちいちの忠告をしようにも、すべてが事後になってしまうんだから、私の言っていることの意図を理解しなさい」なわけ。つまり「安全にやれと上様が仰せ」なのだから「きちんと安全の意味を考えよ」ってことだと、私は思いますけど?
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