○忠利は十六日付の手紙「九一五番」で「だいたい二十日前後に三ノ丸へ押し込むのではないかと、踏んでおります」と書いていました。しかし二十日になっても城乗りは始まりませんでした。その結果、先に動いたのは敵の側だったのです。●忠利九一七「2月21日
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