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2019年11月01日09:00

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映画日記 『東京干潟』

2019年10月31日(木)

『東京干潟』(2019年)
監督:村上浩康
駅西・シネマスコーレ

目の前をひんぱんに飛行機が離着陸する。
羽田空港近くの多摩川河口で、掘っ立て小屋に住み、捨て猫10数匹と暮らすホームレスの爺さんを追うドキュメンタリー。
聞けば、85歳という爺さんだが、いまだかくしゃく。
腕の力こぶなどは、私なんかよりずっと盛りあがっている。
爺さんは猫のエサ代と、自らのわずかな食料といちばん安い缶チューハイのために、河口に入り、手探りで採ったシジミを売って暮らしている。
手で採るのは、小さなシジミを選り分け、逃すため。
根こそぎ採ってしまうとシジミがいなくなってしまう。
缶チューハイを求めるのは、冷えた身体を温めるため。
捨て猫を飼うのは、猫にだって生きる権利はあるからだ、と爺さんが語った。
しかし、そんな爺さんの生活が一変する。
東京オリンピックのために河口近くの橋の改築工事が始まり、シジミが棲息する河床が削られてしまったのだ・・・・

村上浩康監督がカメラを向けなければ、この爺さんのことを世間が、というか、私が知ることはなかっただろう。
石炭が産業の中心だったころの九州で生まれ、その後復帰前の沖縄に渡り琉球カラテを身につけ、本土に戻ってからゼネコンの下請け会社を立ち上げた。
しかし、片目を失う事故をきっかけに、盛況だった会社をたたんで、それからはホームレス暮らしという。
ポツポツと語られる、戦後の復興からバブル景気へと変化していった、日本の世相と重なるような爺さんの流転の人生も興味深い。

一見すると、河のほとりに住む仙人のように、ひょうひょうとした生き方をしている爺さんに見えるのだが、現実はじつにきびしいものだった。
シジミの漁場となる河口は、深い泥になっており、いったんはまるとぬかるみから脱出できなくなる。動けない状態で潮が満ちてくれば、一巻の終わりだ。
台風の過ぎた翌日の朝、多摩川の水位があがり続け、あわや彼の掘っ立て小屋まで水が迫ろうとしたところで、エンドとなった。
つまり、独り身で猫たちに囲まれ、気ままに暮らしているようにみえる爺さんだが、実際は崖っぷちで、一寸先は闇なのだ。

『東京干潟』を見て、『人生フルーツ』を見たときに感じた違和感の理由が分かるような気がした。
『人生フルーツ』の高等遊民みたいな老後はたしかに理想だが、誰もがたやすく手に入るものではない。
河に入ってシジミを採ることはないだろうが、安穏とした老後があるわけでもない。
ということで、『東京干潟』の爺さんに、私は深く共感した。



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