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2019年10月12日19:54

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映画日記 『小太刀を使う女』 『金環蝕』

大阪遠征の2日目。

『ニッポニアニッポン フクシマ狂詩曲(ラプソディ)』(2019年)
監督:才谷遼
大阪九条・シネ・ヌーヴォ

反原発を訴える無茶苦茶な映画で面白かった。
とくに終盤の自民党(歌詞かセリフで自民党とはっきり言っていた)や地元有力者や御用学者たちといった利権に群がる連中が、「原発推進」、「廃炉工事で未来永劫ボロもうけ」と、歌い踊る乱痴気パーティが見どころ。
しかし、見どころと思ったのもつかのま、しだいに腹が立ってくる。
なにしろ、現実はその通りなのだ。


『小太刀を使う女』(1961年)
監督:池広一夫
大阪九条・シネ・ヌーヴォ

京マチ子主演の未見作。
ときは明治の初め、ところは九州の臼杵。
幕末の混乱も一段落し、御一新の世の中で、臼杵藩の藩士たちも刀を捨て武士の商法を始めていた。
そのひとり池田健一郎(小林勝彦)は商家より嫁のたか(中村玉緒)をもらい、順調に商人としての道を歩みはじめていた。
そんなおり、いまは東京となった江戸より10年ぶりに姉のりつ(京マチ子)が戻ってきた。
武家の娘として矜持を持つりつにとっては、今の世は不満なことばかり。
ことに仲睦まじい弟夫婦が憎たらしいのか、嫁のたかに辛くあたるのだった。
時世が変わろうと、武家に嫁いできたからにはと、たかに小太刀を与え武芸の稽古をはじめる始末。
ところが、西南の役が勃発し、臼杵の地に西郷軍が攻め入ってきた。
旧臼杵藩の藩士たちは、官軍到着までの間、ふたたび武具をとり西郷軍と戦うことになる。
そして、りつとたかは思わぬ事態に小太刀を使うことになり・・・・

まったく知らない映画だったが、いわゆる拾い物だった。
そうか、明治の初めというのは、まだまだ武士の時代でもあったのか。
市井の人になったはずの臼杵藩士たちが、侍に戻るというくだりに目からウロコだった。

なんとなく、悲劇だろうと想像しながら見ていたら、なんとハッピーエンドだった。
武家の娘として肩肘を張り、冷徹に、そして窮屈に生きてきたりつに幸せが訪れる。
ご都合主義の骨頂ながら、まるでジェーン・オースティン原作、アン・リー監督作品『いつか晴れた日に』(1995年)で、エマ・トンプソンが演じた、恋とは無縁の長女に訪れる幕切れと同じに、見る者すべてを幸せにするラストシーンだった。


『金環蝕』(1975年)
監督:山本薩夫
大阪九条・シネ・ヌーヴォ

自民党とおもわれる保守政党の裏金作りと、巨大ダム工事を巡る汚職事件を描く1本。
政治がらみのややこしい話を、「面白く」かつ「分かりやすく」見せる。
ストーリー展開にはまったく必要ないのに、川崎あかねのおっぱいポロリや、安田道代のお尻といったヌードシーンが入る。
長い映画なので、ウトウトしそうになると裸が出てきて、ハッとする。
まことにありがたい仕掛けだ。

数多くの登場人物による群像劇なのだが、目を細めてながめると、宇野重吉が奇っ怪なメークを駆使して演じた、因業な高利貸しが主人公のような気がしてならない。
貧乏な生まれで、手を汚し何度も獄につながれながら、金だけを頼りに這い上がってきた男だ。
対する白い顔と白い手をした若手エリート政治家を仲代達矢が演じる。
本作は、対照的な人生を歩んできたふたりの、いわば暗闘の物語といえる。
手を汚さずに権力に居座るエリートに対する、地面を這いずり回って生きてきた男のルサンチマンだ。
本作のモデルとなった実際の事件は単純な話ではないとおもうが、情報戦や策を弄しての暗闘の面白さが、グイグイと映画を引っぱっていく。

仲代達矢の黒金泰美、池田勇人や佐藤栄作や田中角栄といったモデル探しも楽しい。
宇野重吉は森脇将光、三国連太郎演じる政界のマッチポンプ男は田中彰治だった。
ネット記事によると1965年頃というから、まだ私が小学生だった時分に「黒い霧」として、連日新聞やテレビをふたりの名が賑わせていたことを思いだした。

京マチ子は夫の権力を笠に着た、出しゃばりな首相夫人役だった。
まさか、晩年になって、役とそっくりな首相夫人が登場するとは、おもってもみなかったことだろう。

以上、今回の遠征は7本だった。


名古屋に着き、帰宅途中にスーパーに立ち寄ったら、棚からパンがなくなっていたのにはびっくり。


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