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2019年07月14日00:38

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総論2「通説という虚構」合戦考証62

○城攻めには、状況に応じた戦法の別があって、的確な戦法を選べば、ほぼ確実に「城は落とせるもの」でしかないようです。しかし通説では、落ちたの落ちなかったのと「結果の違い」を言うんです。たとえば「関ヶ原合戦」での攻城戦。

●西軍の伏見城攻め「十日も攻め続けて、やっと落とした」
●西軍の田辺城攻め「一ヵ月以上も攻め続けたあげく、朝廷の仲介で和睦」
●西軍の安濃津城攻め「攻めたが、落とせずに、高野山の仲介で和睦」
●東軍の岐阜城攻め「布陣したその日のうちに、攻め落とした」
●東軍の大垣城攻め「攻撃もせずに、攻め落とさないで通過した」
●西軍の大津城攻め「攻めたが、落とせずに、高野山の仲介で和睦」

○関連の攻城戦はほかにもありますけど、中央で東西両軍がやったとされるものでも、これだけあります。このうち「落とした」のは、西軍の伏見城攻めと、東軍の岐阜城攻めぐらいで、意外と「落とせない」という「結果」なんです。前回に「城が落ちるものでしかないならば、なぜ籠城するのか?」という疑問点を出しましたが、こんなにも落とせないなら、逆に「なぜ攻める?」と思いません?

●『信長公記』巻三
「廿五日、越前の内敦賀表へ御人数出ださる。(中略)金が崎の城に朝倉中務大輔楯籠る。翌日又取懸け、攻干さるべきの処、色々降参致し退出候」

○織田信長が越前へ出兵して、福井県敦賀市の「金ヶ崎城」を攻めたとしている記述です。朝倉義景の従弟「朝倉景恒」が城主でしたが、ここには「降参致し退出」と書いてあるんです。金ヶ崎城と言えば『太平記』にも「難攻不落の要塞」として登場してくる城です。だから信長も、簡単に落とせるとは思ってなかったはずで、ゆえに「攻め干さるべき」の記述です。つまり「何日かかっても、敵のほうが出てくるのを待つ」干し殺し戦法を予定していたようです。なのに「取り懸け」たら「降参」です。敵は即日に降参しちゃって、城を退去したという。

○この文章は、有名な「金ヶ崎の退き口」のものです。こんなの「ありえない」と思うのでしょうね。「武士たるものが、戦いもせずに降参するなど、考えられない」んでしょう。ゆえに通説は「金ヶ崎城を攻めているときに、義弟の浅井長政が裏切ったのを知って、信長は慌てて逃げ出した」なわけですね?「逃げる信長を守るため、秀吉が殿(しんがり)で戦った」ですもんね?『信長公記』の記述より、小瀬甫庵の書いた『甫庵信長記』や『甫庵太閤記』がベースだってわけ。

○『信長公記』は、このあと「金が崎の城には木下藤吉郎残しをかせられ」と書いているんです。帰京後に信長が、毛利へ送った手紙にも「金前には番手入置」の記述があるんです。信長の退却時に、秀吉が「金ヶ崎城の番将」になっていたのであれば、金ヶ崎城に「敵はいない」わけで、わずか一日で攻め落としたのでなければ「降参退去している」わけですよ。しかも通説だって「金ヶ崎城を攻め落とした」とは言ってないわけじゃないですか。すると通説は「攻め落としてないから、攻撃中」として、『信長公記』は「攻め落とさなくとも、降参して落ちた」としていて、城が落ちたか落ちなかったか、その結果すらも違うという始末。

○問題の最たる点は、ここなんですね。歴史学者には二種類がいます。原本史料でなければ研究素材にしない人と、写本史料でも研究素材にする人。前者にとって『信長公記』は「原本史料ではない」から研究素材になりません。後者にとっては『甫庵信長記』も研究素材になるんです。つまり、どちらの側にとっても、通説より『信長公記』のほうを優先するだけの理由がないってことです。「金ヶ崎城から敵がいなくなっていたこと」は、『信長公記』でも、信長の手紙史料でも、公家の日記『言継卿記』でも一致しているのに、通説は少しもゆるがないわけなんです。正直に言って、とても迷惑なんですよねえ。これでは、まるで私のほうが「偽書史料をネタに、デタラメを書いている」みたいじゃないですか?

●『信長公記』巻一
「廿八日、信長東福寺へ御陣を移され、(中略)公方様同日に清水御動座。廿九日、青竜寺表御馬を寄せられ、寺戸舜照御陣取。これに依って岩成主税頭降参仕り、晦日、山崎御着陣。先陣は天神の馬場陣取。芥川に細川六郎殿、三好日向守楯籠り、夜に入退散。并に篠原右京亮居城越水、滝山是又退城」

○『信長公記』には、意外と「降参」の記述が多いんです。上記の文章は「義昭を担いで上洛戦」のときのものですが、三好三人衆は、ほとんど戦闘をしたようすもなく、城を退去していくありさまです。通説で語る話は違いますので、一読すると「おかしい」ように思えるでしょうが、ここで当初の疑問に戻ってみましょうよ。「的確な戦法を選べば、城は落とせるものでしかない」ならば、無理に戦う意味もなくて、「戦わずに降参する」のも「一つの手段」となりませんか?
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