第344戦、6月12日発売号●【予想】衰退のロサンゼルスマットで藤波が防衛戦、WWFジュニア・ヘビー級選手権試合、藤波辰巳vsケン・ウェイン(81年ロサンゼルス・スポーツアリーナ)【正解】副審をめぐる猪木、アリ両陣営の駆け引き人選(76年)
※参考 2019年6月12日発売号は●【予想】国際プロレス出身の外国人同士が全日本プロレスの看板タイトルを争う、キラー・トーア・カマタvsビル・ロビンソンPWFヘビー級選手権試合。(78年全日本プロレス一宮市産業体育館)【正解】新日本のレスラー8人がメキシコ総本山で大暴れ!UWA世界ヘビー級選手権試合、藤波辰巳vsカネック、WWFジュニア・ヘビー級王座決定戦、タイガーマスクvsフィッシュマン他(83年メキシコシティ・エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス)この時点での対戦成績は89戦18勝71敗、勝率202。2013年6月12日発売号は日本デビュー2戦目、天龍が超大物相手に勝利するも…鶴田&天龍源一郎組vsハーリー・レイス&ホースト・ホフマン組(77年全日本プロレス大宮スケートセンター)
【予想解説】81年新日本プロレス「第4回MSGシリーズ」が終わると、藤波はアメリカ遠征に出発、6月8日(現地時間)にはニューヨークMSGのWWF定期戦に出場しました。
WWFで海外武者修行中の谷津嘉章とタッグを組み、レックス(ランディ・コーレイ)&スポット(ラリー・ラザン)のザ・ムーンドッグスの保持していたWWFタッグ王座に挑戦。試合は60分3本勝負。1本目は10分15秒、日本組の反則勝ち。2本目は5分12秒、藤波がレックスをフォールにいったところ、スポットがカットに入ってエルボードロップ、しかしこれを予知していた藤波はかわして、エルボーはレックスに命中。すかさず藤波がレックスを体固め。
2−0で藤波&谷津組が勝ちましたが、反則含みの為タイトルの移動はなし。勝った藤波にリングアナウンサーのハワード・フィンケルに「今日、会場にフジナミのフィアンセが来ています」と紹介されるとリングサイドにいた婚約者の沼谷かおり(現伽織夫人、大阪府出身)さん(当時27歳)を藤波がリングに呼び寄せ、会場にいた22,000人の大観衆にお披露目しました。
藤波は6月12日、ロサンゼルス・スポーツアリーナで未来日ケン・ウェインとWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を行い、19分24秒、ブレーンバスターから体固めでフォール勝ちし22度目の防衛に成功しています。
マイク・ラベールが主宰するロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングは経営不振からラベールの母親であるアイリーン・イートン女史が権利を持っていたオリンピック・オーデトリアムの興行権を手放し、スポーツアリーナに進出、オリンピック・オーデトリアムも借りる形で引き続き興行を開催することになりました。
NWAハリウッド・レスリングが興行権を買う前は力道山時代から日本プロレスと親密関係にあったWWAのマーケットとして広く知られ、NWAになってからも日本プロレスとの関係は継続、オリンピック・オーデトリアムは日本からのテレビ中継でお馴染みのハコでした。
日本プロレス崩壊後は73年から元日本プロレス取締役の遠藤幸吉がNET「ワールドプロレスリング」の解説者を続ける見返りにロサンゼルスとの外国人ブッキングルートを新日本プロレスに斡旋し、それまでカール・ゴッチに頼っていた外国人ルートが増えています。
NWAハリウッド・レスリングの看板タイトルであるアメリカス・ヘビー級王座は別名「猫の目王座」と呼ばれベルトが頻繁に移動することで知られていましたが、75年にチャボ・ゲレロがロス入りしてからはベルト移動劇は相変わらずでしたが短期で奪回し通算では安定した実力を発揮、ロス在住に多いヒスパニック系住民の観客のヒーローになりました。
しかし80年代に入ると人気にも翳りが見られ、観客動員は減少。チャボはプロモーターのマイク・ラベールと喧嘩別れし81年2月には前80年11月3日新日本プロレス蔵前国技館で木村健吾から奪取したNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座のベルトを持ったままテキサス州ヒューストンに転戦してしまいました。
チャボを失ったロス・マットはさらに衰退の一途を辿りジンとマイクのラベール兄弟は母親から受け継いたオリンピック・オーデトリアムの興行権を手放すことになった訳です。
【正解解説】猪木との対戦が決まったモハメド・アリは76年5月24日、西ドイツのミュンヘンでWBA世界3位リチャード・ダンと防衛戦を行い、5回KO勝ちでプロボクシング統一世界ヘビー級タイトルを防衛。
2月20日ベルギーでのジャン・ピエール・クープマン、前回4月30日のメリーランド州ランドーバーでのジミー・ヤングとの防衛戦と凄まじい勢いでのタイトルマッチ連戦は異例でした。
アリは6月に東京で猪木と闘った後、次回の防衛戦は9月28日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムで世界同級1位のケン・ノートンとの防衛戦が発表されています。
アメリカマットでのアリ戦へのプロモーションを終えた猪木は5月28日、後楽園ホールで開幕の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」に出場。
開幕戦ではピート・ロバーツをバックドロップからの体固めで破っていますが、アリ戦へ向けての秘密トレーニングの為、シリーズ序盤の6月1日、秋田・五城目町広域体育館でジェフ・ポーツをコブラツイストで破った試合を最後にシリーズを途中欠場しています。
リチャード・ダンとの試合を終えたアリは6月2日、ペンシルバニア州フィラデルフィアでのWWEのプロレスの試合場に突如現れ、上半身裸になりリングに登場、ゴリラ・モンスーンと番外戦を行い、モンスーンにエアプレーン・スピン(飛行機投げ)で振り回されている写真が日本のマスコミにも掲載されました。
2009年CS放送のJ-SPORTS-ESPNで放送されている「WWEヴィンテージ・コレクション」の中でこの時の映像が放送され、それを見た私は感激してしまいました。
その後アリは6月10日、イリノイ州シカゴでのAWAの興行にも特別参戦し、バディ・ウォルフ、ケニー・ジャイを相手に1対2のハンディキャップ・エキシビションマッチを行い、強烈なパンチ1発でジャイを倒しています。(特別レフェリーはバーン・ガニアが勤めた。)
アリvs猪木戦はルール問題で猪木が不利なルールを飲まされたことで知られていますがレフェリーについてはアリ側はトレーナーであるアンジェロ・ダンディと以前より親交の深かったジン・ラベール(マイク・ラベールの実兄)でスンナリと了承しています。
ジャッジですが、ボクシング側から一人、プロレス側から一人ずつ出すことになり、ボクシング側は日本プロボクシング・コミッション傘下のセンタースポーツジムの鈴木会長の推薦で遠山甲がまず決定。
プロレス側は猪木はルー・テーズを推薦していましたがアリはテーズを拒否し、2月6日日本武道館で猪木vsウィリエム・ルスカ戦のレフェリーを務めた遠藤幸吉に決定。レフェリーのジン・ラベールと弟のマイクのラベール兄弟と遠藤は日本プロレス時代に外国人レスラーをブッキングしていたロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングとの繋がりから親交が深かった為、アリ側も遠藤であっさり了解した、ということでした。
※対戦成績は344戦57勝287敗、勝率166。
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