84年7月24日後楽園ホールでUWF「無限大記念日」2日目が開催され初日に続いて3,000人超満員発表の観客を動員しました。
初日とはカード編成を変えて日本人vs外国人の対戦を中心に持って来ました。
第1試合は山崎一夫がエル・ファンタスマと対戦、前夜に続きシューティングスタイルでファンタスマを圧倒。フロント、ダブルアームの2種類のスープレックスの連発から片エビ固め。
第2試合はアンヘル・ブランコ・ジュニアとガジョ・タパドのルチャドール同士の一戦でブランコが体固めで勝利。
第3試合にはラッシャー木村&剛竜馬組の元国際勢が登場、ザ・UFO&MS1組と対戦。こちらは日本側が安定した試合ぶりを見せ、R木村のラッシング・ラリアットから剛が久々のジャーマン・スープレックスホールドをMS1に決めての勝利。
この日はタッグマッチがもう一つ。セミファイナルは藤原喜明&高田伸彦組vsレオ・バーク&ロッキー・ダラセーラ組。
高田がローリング・ソバットで倒したダラセーラに組み付いて腕をロックした状態で頭部を両脚で挟み込んでねじ曲げる複合技。クルック・ヘッドシザースで高田がダラセーラにギブアップ勝ち。(当時はクロック・ヘッドシザースと呼ばれた)
ダブル・メインイベント第1試合はザ・タイガーとマッハ隼人のシングル戦。両者の対戦は81年10月8日、新日本プロレスの蔵前国技館で新日本と国際プロレスの全面対抗戦で行われることが発表されましたが、マッハが対戦を嫌ってキャンセルとなっています。
この試合、一部では新日本が敗者覆面剥ぎマッチにするのでは?という噂がまことしやかに流され、ベースがルチャで対応力に欠けるマッハに佐山が試合中にシュートを仕掛けて来て負けた上にマスクを剥がされて素顔を晒されるかも知れないと新日本のフロントに不信感を持ったマッハが対戦を拒否した、という話を聞いたことがあります。
それから約3年、紆余曲折を経て第3団体UWFのリングで初の一騎討ち。試合はタイガーがマッハのルチャ殺法を引き出した上でタイガー・スープレックスホールドで完勝しています。
ダブル・メインイベント第2試合は前田日明vsフレンチ・マーテル。
Fマーテルは時のAWA世界ヘビー級王者リック・マーテルの実兄マイク・マーテルとのザ・コンバット・フレンチブラザーズとして75年に国際プロレスにピエール・マーチンのリングネームで初来日。
11月3日、後楽園ホールではグレート草津、マイティ井上組を降しIWA世界タッグ王座を奪取(11月21日、水沢市体育館で草津、井上組のリターンマッチを退けるも12月2日、横浜文化体育館での金網デスマッチで草津、井上組に敗れ王座転落)
12月4日、後楽園ホールでR木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦しましたが、こちらは反則負け含みで2-0のストレート負けを喫しています。
翌76年10月にもフレンチ・マーチンの名前でザ・コンバットとしてマイク・マーテルと再来日。この時、マイクの弟であるリックも初来日しています。
マイクは78年6月30日、遠征先のプエルトリコで心臓発作の為35歳で急死。その後はシングルプレイヤーとなり、79年4月と81年1月にはマッドドッグ・マーチンのリングネームで全日本に参戦しています。
マーチンとマーテルを使い分けていたようですが、かつての亡きパートナーの弟リックが鶴田を破ってAWA世界ヘビー級王座を獲得した時は自分のことのように喜び、祝福したそうです。
中堅外国人ではありますが侮れない実力者のFマーテルを相手に前田はフライング・ニールキックをぶちこみ、ダウンさせたところを首4の字固めに移行したと思いきや、そのまま腕を固めた状態での三角絞め 、Fマーテルはギブアップし前田が完勝。
前田vsFマーテルと藤原&高田組vsバーク&ダラセーラ組はいずれもサブミッションで決着がつきましたが32年前の日本プロレス界ではサブミッションによるフィニッシュは観客に認知されておらず、反応は今一つでした。
しかし、これがUWFの戦い方でした。この後に予定されている第2弾シリーズ、ビクトリー・ウィークス(8月29日高崎市体育館で開幕)でその方向性はかなりはっきりしたものになってきます。
一方、新日本プロレスではニューヨークMSGから弾丸で帰国した猪木は7月26日、盛岡・岩手県営体育館のテレビ収録マッチから試合に復帰しました。
猪木はメインイベントで木村健吾と組んで長州力&谷津嘉章組の維新軍と対戦。木村健が維新軍の連係に捕まりほうほうのていでタッチすると勢いよくコーナーを飛び出し長州と激突。
手四つの体勢から押し込む長州に綺麗なブリッジワークを決めて見せ、代わった谷津にもリバース・インディアン・デスロック、弓矢固め。
長州がリング中央で木村健をサソリ固めに捕らえるもこれは猪木がカット、木村健は稲妻レッグラリアットを谷津に決めて反撃。
しかし木村健がまたも維新軍に捕まり、長州がバックドロップの体勢に担ぎ上げたところを谷津がコーナーからダイビングしてのニーパット、そのまま長州が後方に倒れ込む合体技。
維新軍はこの辺りから谷津とアニマル浜口の「番付」が微妙に入れ換わり、谷津が事実上NO2に昇格した感じになっていました。試合はリキラリアットで長州が木村健を体固め。
試合後も猪木に突っかかる長州、応戦する猪木。これを受けて新日本プロレスでは翌7月27日にサマー・ファイト・シリーズ最終戦、8月2日蔵前国技館のメインイベントのカードを猪木vsデビッド・シュルツから猪木vs長州に変更することを発表。シュルツは藤波とシングルマッチで対戦することになりました。
盛岡大会のセミで藤波はダイナマイト・キッドとシングル戦。実況の古舘伊知郎アナウンサーはこの一戦を「ジュニア・ヘビーメモリアル」と形容しました。
藤波がWWFジュニア・ヘビー級王者時代、ベルトを賭けて名勝負を残している両者(80年2月5日愛知県体育館、81年4月10日、北九州市西日本総合展示場)ですが、久々のシングルマッチ。
藤波がヘビー級に転向したとは言え、キッドも藤波と比べて体格差はほとんどありません。
藤波が北九州のタイトルマッチの時のフィニッシュに使ったアルゼンチン・バックブリーカーを出せば、キッドもミサイルキック、高速低空ブレーンバスター、ツームストン・パイルドライバーと剃刀ファイターぶりを炸裂させて応戦。
最後は藤波がヘビー級の証明、バックドロップからの体固めで勝利を飾っています。
最終戦蔵前で小林邦昭とのNWA世界ジュニア・ヘビー級タイトル戦を行うザ・コブラはデービーボーイ・スミスのパワーに苦戦しながらもジャーマン・スープレックスホールドでフォール勝ち。
翌7月27日は岩手県北上市江釣子ショッピングセンター・パル特設リング大会でしたが、江釣子と言えばシリーズ開幕直前にUWFへ行った藤原喜明の地元であり、藤原の離脱前に凱旋興行として組まれた大会でした。
この大会に藤原が参戦を表明し、坂口か藤波との対戦を要求していましたが新日本のフロントはこれを無視。
これに対しUWFの上井文彦営業次長は7月23日、後楽園ホール大会のリング上で「過激を売り物にする新日本プロレスは逃げた」と非難しています。
実際、この時期新日本プロレスは藤原と高田伸彦を相手に契約違反で訴訟を起こしていましたから乗りたくても乗れなかったのが実状でした。
ノーテレビながらメインで猪木と藤波がタッグを組み、バッドニュース・アレン&リック・オリバー組と対戦。猪木がオリバーを延髄斬りから体固め。
セミでは長州&アニマル浜口組vsキッド、スミス組が実現し両チームリングアウトと地方大会にしては好カードが組まれました。
観客は2,200人満員発表で主役のいない凱旋興行をまずまず成功に終わらせています。
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