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2024年08月31日16:22

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ストロング小林さん追悼最終章(795)

81年10月8日新日本プロレス蔵前国技館「創立10周年記念興行第3弾 新日本プロレス対国際プロレス全面対決」メインイベントは両団体頂上決戦、猪木vsラッシャー木村の初対決、シングルマッチ60分1本勝負。

両者の関係は66年の東京プロレス時代にまで遡ります。同年、豊登と猪木により旗揚げされた東京プロレス、前65年4月2日、日本プロレス渋谷リキスポーツパレスで高崎山三吉(北沢幹之、魁勝司)を相手にデビューした木村政雄(ラッシャー)は豊登に誘われて東京プロレスに移籍しました。

同年10月12日蔵前国技館で旗揚げした東京プロレスは、日本人選手不足からか、11月6日兵庫県西宮市甲子園大プール特設リング大会ではR木村は猪木&豊登と初トリオを結成して初メインイベントに出場、ジョニー・バレンタイン&サニー・マイヤース&ラッキー・シモノビッチ組と対戦しています。

年齢は猪木が2歳下、しかしR木村は猪木のリングシューズの紐を通して結ぶ役割を嫌な顔せずやっていました。この光景を見ていた猪木嫌いで知られる当時、大阪新夕刊の記者だった菊池孝氏は「猪木のヤツ、後輩とはいえ年長者にこんなことさせてよく平気でいられるな」と激怒したとのことです。(後付けの話っぽいですが…)

東京プロレスは日本プロレスの妨害工作、プロモーターであるオリエント・プロとのトラブルが重なり年内で単独興行が出来なくなり、66年に吉原功、ヒロ・マツダを代表に設立された国際プロレスと67年1月、合同興行で存続することになりましたが、こちらも僅か1シリーズで頓挫、猪木は日本プロレスから一緒に移籍した北沢、柴田勝久、さらに何故か東京プロレスでデビューした永源遙と共に67年4月、日本プロレスに復帰していますがR木村は一旦プロレス界と距離を置いて故郷である北海道に戻っていました。

ストロング小林が覆面太郎として国際プロレスでデビューした67年7月の「バイオニア・サマー・シリーズ」にR木村が出ていないのはその為です。

吉原社長に説得されたR木村は国際プロレスに復帰し翌68年、TBS体制となった「オープニング・ワールド・シリーズ」から参戦。アメリカ、ヨーロッパ修行を経てメインイベンターに成長、「金網の鬼」として団体内でポジションを確立、S小林離脱後の75年4月19日札幌中島スポーツセンターでの金網デスマッチでマッドドッグ・バションを破り団体の看板タイトルであるIWA世界ヘビー級王座を獲得、エースの座につきました。

R木村がIWA世界ヘビー級王座についたばかりの75年6月6日、R木村の名前で猪木に内容証明郵便で「挑戦状」が港区南青山の新日本プロレス事務所に到着、内容は「貴殿は”実力日本一”を豪語しているようだが、私も密かに実力日本一を持って任じている、どちらが真の実力日本一か、闘って決着をつけましょう」というもの。

この時新日本プロレスは「ゴールデン・ファイト・シリーズ」の開催中で北海道をサーキットしており猪木は翌7日に新日本プロレス事務所から連絡を受け、8日、巡業先である帯広で「東京スポーツ」の取材を受け6月10日付(9日発行)の東スポ1面では、猪木、坂口征二、このシリーズから新日本プロレスに正式入団したS小林の「ビッグ3」が座談会を行い、猪木はR木村を「格が違う」と一蹴しています。

座談会の内容は専ら猪木が「私もプロだからメリットを考える。今、私がR木村とやったところで何のメリットがありますか?R木村と馬場さんではバリューが違う。馬場さんに挑戦した時は興行権からテレビ放映権まで全部向こうにくれてやると、馬場さんとやって勝てば、勝ったという事実が大きなメリットになる。私がR木村とやって勝ったところでメリットは何もない。テレビ放映権、興行権をこちらに一任するならやってもいい」

「挑戦してくるならR木村がここにいるS小林や大木金太郎みたいに裸(フリーの身?)になって思い切りかかってくることだ。R木村が対等の立場でやりたいと言うなら、国際プロレスは秋に全日本プロレスと合同興行をやるらしいじゃないか、ならばそこで馬場さんとやって勝ったら考えてもいい」

という辛辣なもの。北海道巡業から戻った猪木は6月12日にR木村に書面で回答。その内容は上記の座談会とほぼ同じ内容で「先輩レスラーとして言わせてもらえば木村よ、『己を知れ』と言わせて頂く」とR木村には屈辱的な内容となりました。

猪木は「私は自分で実力日本一などと言ったことはない。ウチは今蔵前国技館を一杯にする人気があるんですよ。テレビ視聴率だって20%。私の人気とは言いません。坂口や小林の人気、いや、前座から人気があるんです。国際プロレスは後楽園ホールが精一杯でしょう?木村の申し入れというのは合同興行をやってくれ、という意味なのか?

ならばウチには何のメリットもない。木村がもし本当に俺とやりたいというならば先輩レスラーとして胸を貸してやってもいい」(「別冊ゴング」75年8月号より抜粋)とR木村を完全に見下したコメントを出していました。

結局、この問題は6月24日、群馬・藤岡市のかぶら川鉱泉で会見を開いた国際プロレスの吉原功社長は「猪木君の発言は非礼極まりない。新日本プロレスに興行権やテレビ放映権を一任しろというのは到底飲める訳もない。猪木君は逃げたと解釈する」としてこの問題は暗礁に乗り上げました。

当時国際プロレスを放送していた東京12チャンネル(テレビ東京)の田中元和(たなかげんな)ディレクターの話では「R木村は先輩に挑戦するなどという性格の男ではなく、あの挑戦状は吉原さんが書いたものでしょう」とコメントしています。

猪木の辛辣なコメントばかりが目立った一件でしたが、国際プロレスがダメ元で新日本プロレスに合同興行を持ちかけていたというのを猪木に見抜かれていたということでした。
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