第320戦、12月20日発売号●【予想】猪木&坂口黄金コンビが最後のタイトル防衛戦、北米タッグ選手権試合、猪木&坂口征二組vsジ・インフェルノス2&3号(75年12月19日ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)【正解】年末海外ビッグマッチを正月特番としてベタ流しするリスク、インターナショナル選手権試合、馬場vsフリッツ・フォン・エリック(69年ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム※現地時間は12月19日)
【参考】力道山葬儀の夜、サプライズ生中継テレビマッチ、豊登vsバディ・オースチン(63年日本プロレス渋谷リキスポーツパレス)
2017年12月20日発売号、第15戦の予想は○※対戦成績は15戦5勝10敗、勝率333。
【予想解説】初期の新日本プロレスを支えた二枚看板、猪木&坂口組の「黄金コンビ」は日本プロレス時代の71年11月に「第2回NWAタッグ・リーグ戦」に優勝した実績はありますが、やはり馬場&猪木組の「BI砲」が主軸であり、本格的にタッグを結成したのは、73年4月に坂口が新日本プロレスに入団して以降になります。
同年4月20日、蔵前国技館で1年5か月ぶりに復活した黄金コンビはジャン・ウィルキンス&サイクロン・ソト組2−0のストレートで撃破。
タッグタイトルへの初挑戦は8月24日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで北米タッグ王者チームのジョニー・パワーズ&パット・パターソン組に挑んだ試合になりますが、1−1から王者組の反則勝ちでルールによりタイトル移動ならず。
今度はパワーズ&パターソン組を日本に呼び12月7日、大阪府立体育会館で再挑戦したものの、同様に1−1から王者組の反則勝ちの結果に終わりました。
翌74年新日本プロレスに北米タッグ王者チームとして来日したカール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組に6月7日、札幌中島スポーツセンターで挑戦。1−1から猪木が暴走し反則負け。
同年8月16日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでショッツ&ヘス組を2−1で破り4度目の挑戦にしてようやくタイトルを獲得、新日本プロレスにタッグのベルトをもらたしました。
王者となった猪木&坂口組は9月10日、愛知県体育館でニコリ・ボルコフ&シーク・オブ・シークス・バグダッド組に2−0、12月5日、大阪府立体育会館でアンドレ・ザ・ジャイアント&ロベルト・ソト組に2−1、12月19日、ブラジル・ロンドリーナ・モリンゴンスタジアムでアンドレ&トニー・チャールス組に2−1。
明けて75年は3月18日、愛知県体育館でタイガー・ジェット・シン&マイティ・ズール組に2−1、6月16日、仙台・宮城県スポーツセンターでアンドレ&ザ・プロフェッショナル(ダグ・ギルバート)組に2−0、7月30日、大阪府立体育会館でハンス・シュミット&ブルート・バーナード組に2−0と6度の防衛を果たしました。
しかし同年2月5日、テキサス州サンアントニオ・ミニュシバル・オーデトリアムで全日本プロレスの馬場&鶴田組がドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスを破りインターナショナル・タッグ王座を獲得してからは「挑戦者チームの質」について、「馬場&鶴田組に比べて挑戦者チームが見劣りする」、「即席コンビばかり」とファンからは手厳しい評価を受けていました。
8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで楽勝防衛と思われていたジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスに大苦戦、1−1から負けに等しいノーコンテストとなり、タイトルはカリフォルニア州アスレチック・コミッショナー預りとなりました。
日本で王座決定戦が行われることになりましたが、猪木が左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)に罹り8月22日高崎市体育館から開幕の「闘魂シリーズ」を長期欠場、猪木の欠場は4週間にも及び9月19日、千葉公園体育館でのジャック・ルージョー戦で復帰しましたが、9月22日、愛知県体育館で行われる北米タッグ王座決定戦は猪木に代わってストロング小林が坂口と組んで出場も、Hブロンドスの連携の前にS小林が2フォール奪われて2−1で敗れ、ベルトはHブロンドスへ。
「やはり猪木でなければならないか…」というファンの声が上がり、10月2日、大阪府立体育会館でのリターンマッチは猪木が坂口との黄金コンビで挑戦、2−1でHブロンドスを破り、2か月ぶりに王座返り咲きに成功しています。
12月4日、大阪府立体育会館でイワン・コロフ&グレッグ・バレンタイン組を2−1で降し初防衛を果たした猪木&坂口組は。12月19日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口と組んで、ジ・インフェルノス2号&3号と北米タッグの防衛戦。
1本目、坂口が2号をコブラツイストに決めたところ、インフェルノスのマネージャー、J.Cダイクスがリング内に乱入。
新聞紙のようなものに火を付け、坂口の顔面に火炎攻撃。18分34秒、これを見ていたレフェリーのレッドシューズ・ドゥーガンが直ちにゴングを要請し、坂口の反則勝ち。
2本目は3分22秒、猪木がバックドロップで2号をフォール。2-0のストレートで猪木&坂口組が2度目の防衛に成功しています。この日のオリンピック・オーデトリアムでは西ドイツで修行中の木戸修と藤波辰巳が出場、木戸はロック・ライデル、藤波はミッキー・ドイルと対戦し共に勝利を飾っています。
翌76年に入ると猪木は「新春黄金シリーズ」最終戦、2月6日、日本武道館でミュンヘン五輪柔道重量級、無差別級2階級制覇のウィリエム・ルスカとの「格闘技世界一決定戦」を行うと発表。北米タッグ王座防衛戦は前日の5日、札幌中島スポーツセンターでシン&ブルータス・ムルンバ組(当初は、ブルドッグ・オットーのリングネームで来日したオットー・ワンツがシンと組んで挑戦すると発表されていた)と行う予定でした。
「新日本プロレス初の日本武道館大会のメインイベントをルスカに横取りされた」と怒るシンは1月29日、大阪府立体育会館での猪木とのシングルマッチで猪木の鼻の上、左眼の下に裂傷を負わせました。
猪木は、大事を取って北米タッグ王座を返上、2月5日の札幌では再びS小林が王座決定戦に登用され、坂口とのコンビでシン&ムルンバ組を2−1で破り、王座を獲得しています。以後猪木は、北米タッグ戦線には絡んで来る事はなく、77年4月1日、蔵前国技館で負傷欠場中のS小林に代わり、シン&上田馬之助組に奪われた北米タッグ王座に坂口と組んで挑戦したことがありましたが1−1からシンが特別レフェリーのルー・テーズに暴行を加えての反則負けで逃げられて王座奪取は成りませんでした。
【正解解説】日本公開前から話題になっている「呪われた一家」エリック・ファミリーを描いた映画「アイアンクロー」(2024年4月5日公開予定)に因んで69年12月19日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで行われた馬場vsフリッツ・フォン・エリックのインターナショナル選手権試合が採り上げられました。
本連載(37)予想に書きましたように69年は9月13日、馬場が初めてロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムにてザ・シークの挑戦を受けてインターナショナル選手権の防衛戦を行った年で、馬場は年内最終シリーズ「NWAチャンピオン・シリーズ」が終わると再びロサンゼルスで同王座2度目の海外での防衛戦を敢行。
挑戦者は鉄の爪エリックで、60分3本勝負。1本目は15分29秒、エリックがアイアンクローから体固め、2本目は5分18秒、馬場が12月3日、ドリー・ファンク・ジュニアへのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した試合で初公開したランニング・ネックブリーカードロップからの片エビ固め、決勝の3本目は6分1秒、アイアンクローを決めたエリックがロープに逃れた馬場をレフェリーの静止を聞いても離さず反則負けを取られ、2−1で馬場が11度目の防衛に成功しましたが、フィニッシュは「毎度お決まりのパターン」になっていました。
この試合は翌70年1月2日の午後8時より日本テレビで録画中継されていますが、本稿では12歳当時の宮本少年が家族に同時刻にフジテレビで放送された「オールスターかくし芸大会」を見たい、と言われ、当時はテレビが「一家に1台」だった為に、お金持ちでテレビを2台持っていた友人の家で馬場vsエリック戦を見せてもらっていたことがポイント。
馬場vsエリックが消化不良の内容だったこともあり、宮本少年はテレビを見せてくれた友達に「つまらない試合だったね」と言われてしまいます。
その友達が空気を読んで「馬場も頑張ったけど、エリックは強い、実力が拮抗してたから、仕方ないね」(12歳でそんなこと言わないと思うが…)とフォローしてくれていたらまた違った文章になっていたかと思います。
※対戦成績は320戦55勝265敗、勝率172。
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