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2024年02月02日07:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(25)

第294戦、6月21日発売号○【予想、正解】新日本、全日本の代理戦争活性剤だったNWA世界王座、NWA世界ヘビー級選手権試合、ハーリー・レイスvsダスティ・ローデス(81年ジョージア州アトランタ・オムニセンター)

【参考】2017年6月21日発売号は日本人のみのワンナイト興行で武道館満員!スペシャルウォーズIN武道館、PWFヘビー級選手権試合、馬場vsラッシャー木村、天龍源一郎vs長州力他(85年全日本プロレス日本武道館)

【解説】昭和時代の6月21日といえばネタに乏しく、前回の全日本プロレスの日本武道館大会とレイスvsローデスのNWA世界戦位しか話題になる素材がなく、前後の日付の出来事でも大きなトピックスはリング内外を含めて見当たらない日です。

ローデスは本名ヴァージル・ライリー・ラネルズ・ジュニア、1945年10月12日、テキサス州オースチン出身の当時34歳。187cm、135kg。

ウエスト・テキサス州立大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。卒業後はコンチネンタル・フットボール・リーグのハートフォード・チャーターオークスを経て、68年にプロレスに転向、テキサス州ハーリンジンでレジー・パークスを相手にデビュー戦を行いました。

ディック・マードックとのテキサス・ジ・アウトローズでヒールとして全米トップのタッグチームで活躍、71年10月、国際プロレスに初来日、12月12日、飯能市体育館ではストロング小林のIWA世界ヘビー級王座に挑戦も反則含みながら2−0のストレート負け。

AWA時代の73年6月にはマードックとのアウトローズで国際プロレスに再来日してS小林のIWA世界ヘビー級、ラッシャー木村&グレート草津組のIWA世界タッグ王座に挑戦。

帰国後、クルーカットだった髪の毛を伸ばして金髪のカーリーヘアーに変身、「アメリカン・ドリーム」を名乗ってベビーフェイスに転向、フロリダ州を拠点に全米テリトリーで大人気を博しました。

75年11月、マードックと共に全日本プロレスに3度目の来日を果たし、11月27日には札幌中島スポーツセンターで馬場&鶴田組の持つインターナショナル・タッグ王座に挑戦も2−1で敗退しました。

そのまま12月の「オープン選手権」に残留、12月6日、足立区体育館での開幕戦のレイスとの公式戦は10分41秒、ダイビング・ヘッドバットからの体固めでフォール負けを喫しましたが、アメリカンプロレスの楽しさ満載の好勝負で観客を魅了しています。

79年8月21日、フロリダ州タンパでレイスを破り、NWA世界ヘビー級王座を獲得、第53代王者となりましたが、5日後の8月26日、フロリダ州オーランドでレイスのリターンマッチに敗れて王座転落、5日天下に終わっていますが、当時既に、新日本プロレスへの初参戦が情報としてマスコミに報道されており、短期間とはいえ、このタイトル交代劇は強烈なインパクトを与え、猪木と新日本プロレスには追い風になりました。 

79年10月、「闘魂シリーズ」前半戦特別参加の為新日本プロレスに初参戦。ローデス招聘にこぎつけたのは新日本プロレスのブッカーをしていたヒロ・マツダとエディ・グラハムのフロリダルートによるものでしたが、79年は新日本プロレスは4月のジャック・ブリスコに次いで、セミリタイア状態だったルー・テーズを除いては2人目の前現NWA世界ヘビー級王者を呼んだことになります。

11月1日、札幌中島スポーツセンターで猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。猪木はローデスをジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド(回転足折り固め)でフォールにいきましたが、その前にローデスがレフェリーに暴行したとして17分1秒、反則負けを取られました。

11月8日、小樽市総合体育館でノンタイトルによる再戦が行われ、シリーズ終盤に来日するボブ・バックランドの保持するWWFヘビー級王座への挑戦権が賭けられましたが13分52秒、鉄柱攻撃とナックルパートで額から流血したローデスが場外で立てなくなり猪木のリングアウト勝ちとなっています。

翌80年には「第3回MSGシリーズ」に来日、予選トーナメントはシードされ、決勝リーグ戦からの参戦、5月16日、刈谷市体育館でスタン・ハンセンと初対戦しましたが、5分45秒、場外でハンセンのウェスタン・ラリアートを喰らいリングアウト負け、5月21日、宇都宮・栃木県体育館での猪木との公式戦も8分44秒、リングアウト負け。

アメリカではベビーフェイス同士で対戦が組まれない夢のカードが実現、5月24日、アンドレ・ザ・ジャイアントとの公式戦は8分23秒、両者リングアウトの引き分けとなり、5月27日、大阪府立体育会館ではバックランドのWWFヘビー級王座に挑戦。かつての「極道」と呼ばれたヒール時代を彷彿とさせるラフファイトでバックランドを流血に追い込み19分12秒、反則負けを喫しています。

リーグ戦は2位にも入らず優勝決定戦には出られませんでしたが、6月5日、蔵前国技館で行なわれた猪木vsハンセンの優勝決定戦で(猪木の反則勝ち)乱入したハルク・ホーガンと二人がかりで痛めつけられる猪木を救出に入り、ベビーフェイス人気が新日本プロレスでも爆発。

80年12月「MSGタッグ・リーグ戦」終盤戦に特別参加、追撃戦となる12月13日には東京体育館で猪木とタッグを結成、ハンセン&シン組と夢のタッグ対決を行い、20分46秒、両チームリングアウトの引き分けとなりました。

81年5月の「第4回MSGシリーズ」にも特別参加、シリーズ終了後の6月24日、蔵前国技館で行なわれるワンナイト興行、「創立10周年記念スーパーファイト」にも来日が予定され、前80年12月13日、東京体育館での同一カード、猪木&ローデス組vsハンセン&シン組が行われる予定でした。

この時期、5月8日、川崎市体育館でのシリーズ開幕戦で、全日本プロレスのトップヒール外国人だったアブドーラ・ザ・ブッチャーが新日本プロレスへ移籍を表明、また、タイガー戸口も新日本プロレス移籍を発表し、これを受けた馬場が報復宣言をするなど新日本プロレスと全日本プロレスの関係は風雲急を告げ、仁義なき引き抜き抗争がスタートする前兆の段階。

ローデスは来日をキャンセル、その理由として「日本へ逝く前にレイスのNWA世界王座への挑戦が決まっており、タイトルマッチに集中したい」ということでした。

レイスとローデスのNWA世界戦は、これまで何度もやってきており、このローデスの言い分はかなり無理があります。

言い換えれば「レイスに勝ってNWA世界ヘビー級王者になることが決定したので、王座に就いた翌日から決められたスケジュールをこなさないといけないから来日出来ない」という意味でしょう。

6月21日、アトランタでのレイスとローデスのタイトル戦はローデスがジャンピング・エルボードロップからの体固めでフォール勝ちし、第61代王者となっています。

一方でシンも6月24日の蔵前国技館大会をキャンセル、「トリニダードトバゴでの試合スケジュールの調整がつかなかった為」とありますが、シンが新日本プロレス以外のスケジュールを優先させる訳もなく、これは馬場の報復による引き抜きで、シンは7月3日、全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」開幕戦の熊谷市民体育館に乱入。

この他、マードックが新日本プロレスヘ、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者のチャボ・ゲレロがベルトを持ったまま全日本プロレスへ移籍。

馬場は10月2日開幕の「創立10周年記念ジャイアント・シリーズ」にNWA世界ヘビー級王者としてローデスを呼ぶと発表、新日本プロレス側は色めき立ちました。

しかし9月17日、カンザス州カンザスシティでリック・フレアーがローデスを降して第62代王者となり、全日本プロレスには決められたスケジュールによりフレアーが王者として来日したのでありました。

※対戦成績は294戦52勝242敗、勝率177。

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