猪木、坂口征二が「格闘技世界一決定戦」を闘っている間、藤波辰巳は1人アメリカに渡り、78年6月9日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでのNWAハリウッド・レスリングの興行に出場。
この大会にストロング小林も出場しています。次期「サマー・ファイト・シリーズ」に凱旋帰国が決まったS小林はWWWFのサーキットを離れて新日本プロレスとは親密関係にあるロサンゼルスマットで最終調整と言ったところでしょうか。
S小林は北米タッグ王座をめぐって因縁の深いプロフェッサー・イトウこと上田馬之助とシングルマッチ30分1本勝負で対戦。
WWWFでは赤のトランクスの下に黄色のニータイツを履く「田吾作タイツ」でヒールだったS小林ですが、テレビ朝日の収録が入ることもあり、赤のトランクスに裸足というスタイル。
対するイトウは金髪ではなく黒髪のショートカットに髭、赤の半纏に下駄履きというスタイルで登場。S小林がベビーフェイスでイトウがヒールです。
イトウはチョーク攻撃からストマッククローでじわじわと攻めていき、タイツから凶器を出してS小林の額を攻撃。S小林のセコンドには次期「サマー・ファイト・シリーズ」に来日が決まっているチャボ・ゲレロがついています。
場外乱闘でイトウの反則に怒ったチャボは殴りかかろうとするも逆にイトウの張り手にダウン。イトウはうるさいとばかり場外の椅子でS小林とチャボの両者を殴りつけて14分15秒、イトウの反則負けの裁定が下りました。
怒ったS小林はチャボと2人がかりで上田を痛めつけましたが後の祭り…。
藤波は76年4月、「第3回ワールド・リーグ戦」に来日したラウル・マタの実弟であるカルロス・マタ(未来日)の挑戦を受けてWWWFジュニア・ヘビー級王座防衛戦を行っています。
Cマタは動きがルチャリブレのスタイルで、軽快なフットワークで藤波を撹乱するも、ルチャ経験豊富な藤波はCマタの動きに合わせて試合を組み立てる王者のレスリングを展開、しかし、ロープに飛んでショルダー・タックルに来た藤波をCマタがロープ際でトップロープ越しに投げてしまい、25分28秒、オーバー・ザ・トップロープによりCマタの反則負け。
藤波が6度目の防衛に成功しています。好試合だっただけに唐突な終わり方をして残念な感じでしたが、試合自体はテンポの早い好試合でした。
試合前に、4月まで国際プロレスのリングに上がっていた剛竜馬がヒロ・マツダと共に姿を現し、藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦を表明しています。
剛は4月の国際プロレス「スーパー・ファイト・シリーズ」途中で巡業から姿を消して無断欠場、連絡が取れない状態になっていましたが、何故か5月11日、全日本プロレスの大阪府立体育会館大会に現れ、会場の外で記者会見を行って、「国際プロレスを離れ、今後はフリーとしてアメリカを拠点に活動していく」と宣言。
全日本プロレスの会場はカムフラージュに使われた感じです。在米フリーでフロリダ州のエディ・グラハ厶が主宰しているCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)の役員で共同オーナーであるマツダを頼って渡米し、打倒・藤波の為に指導を受けて鍛え直すことになりました。
その後の取材の中で剛は「国際プロレスにいたのでは病気の父親や妹の生活の面倒がみられない」と日本人団体所属だったプロレスラーとしては初めて「処遇不満」による退団だったことをマスコミに明かしています。
マスコミは「第2のストロング小林事件」と書きたてましたが、図らずも国際プロレスの経営状態が芳しくないことを剛が露呈してしまった訳です。
マツダは、73年の「第1回チャンピオン・カーニバル」に助っ人として日本陣営から全日本プロレスに参加、以後年1回ベースで助っ人参戦し、76年7月の「サマー・アクション・シリーズ」に出場、シリーズ終了後にネバダ州レークタホーで行われたNWAの年次総会では、加盟2年目の新日本プロレスに対し、「猪木はNWAのメンバーになって1年以上経っているのに、まだNWF世界ヘビー級王座から『世界』を外しておらず、ルール違反だ」と糾弾。
新日本プロレスの興行用ポスターを呈示して猪木を非難。この年のNWA総会は試合直後は酷評された猪木vsモハメド・アリ戦が行われた後とあってオレゴンのプロモーター、ドン・オーエンは「猪木に黄金のナイフを贈ろう」(恥ずかしい試合をしたので、これで切腹しろ、という意)という強烈なブラックジョークを言い放つなど、ブラジル遠征中でNWA総会には出ていなかった猪木に対し痛烈な「欠席裁判」となりました。
個人加盟であるNWAですが、猪木は加盟時に付けられた付帯条件『�。裡廝狙こΕ悒咫宍蕾�座への挑戦は1年以上は認めない��馬場と仲良くし、共存共栄を図ること�G肋譴�呼んでいる全日本プロレスに来日しているレスラーは猪木は呼ぶことが出来ない』とこの年の件でNWAに対する興味を急速に失い新日本プロレスでは坂口征二と新間寿がメンバーになっています。
そんな「親馬場派」だったマツダでしたが、76年以降、全日本プロレスから声がかからなくなり、フロリダルートからの招聘外国人レスラーも徐々に減っていたところから、日本でのビジネスパートナーを新日本プロレスに鞍替えしました。仲介したのはマサ齋藤だと思われます。
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」の画面に登場したマツダは「剛はロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラベールと契約した。外国人選手扱いで新日本プロレスのリングに上がることになる」と経緯を説明しましたが、これはおそらくギミック上の話。「剛を徹底的に鍛え直して藤波に勝たせる」と宣言しています。
なお、「MSGシリーズ」途中からアメリカ、メキシコへの海外武者修行に出た木村健吾も出場、前77年2月に全日本プロレスに初来日したアウトロー・ロン・バスとシングルマッチ20分1本勝負で対戦し11分2秒、反則負けとなりました。
藤波とS小林の試合はテレ朝で収録され、6月16日の「ワールドプロレスリング」で放送されました。
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