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2023年01月31日23:06

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(23)

第189戦、6月9日発売号●【予想】グレート・アントニオ、ミスターXに惨敗し途中帰国(61年日本プロレス高松市体育館)【正解】馬場に初めて出た結婚報道(64年)

【予想解説】私達の世代は猪木に顔面蹴りのリンチを食らってKO負けしたイメージの強い「カナダの密林王」グレート・アントニオですが、それより16年前の初来日時にも同じような事件が起きています。

アントニオは1925年10月10日、クロアチアの出身、第二次世界大戦終了の45年、19歳の時に家族でクロアチア併合後のユーゴスラビアからカナダのノバスコシア州ハリファックスに移住。

当時から怪力自慢のストロングマンとしてスポーツエンターテインメントの世界でキャリアを開始し、52年には433トンの列車を19.8m張ったとしてギネス世界記録に掲載され、60年には乗客を乗せた4台の路線バスを引っ張ったとして再度ギネス世界記録に掲載されたと言います。

サーカスやカーニバルのアトラクションへの出演を本業としつつプロレスのリングにも上がり、59年にはテキサスのダラス地区を皮切りに、カナダやアメリカの各ローカルテリトリーを転戦。怪物系プロレスラーとしてテキサス州ヒューストンではトシ東郷(ハロルド坂田)&デューク・ケオムカの日系コンビ、カナダ・アルバータ州カルガリーではマッドドッグ&ブッチャーのバション兄弟を相手に、それぞれハンディキャップマッチを行った実績がありました。

同年、カナダ・トロントではジン・キニスキーやハードボイルド・ハガティ、ミネソタ州ミネアポリスではバーン・ガニアとも対戦.ミネアポリス地区(翌60年にミネアポリス版AWAとなる)のカナダでの拠点だったマニトバ州ウィニペグでは、10月2日に273Kgの体重を誇った「人間空母」ヘイスタック・カルホーンとの超巨漢対決も実現しています。

60年は5〜9月にかけてニューヨーク地区(後のWWWF)に出場し、ブルーノ・サンマルチノ、アントニオ・ロッカ、リッキー・スター、ベアキャット・ライト、ジョニー・ウォーカー(ミスター・レスリング�狭�)、ルー・アルバーノらと対戦、ヒールのポジションでパンピロ・フィルポやドクター・ジェリー・グラハム、ワルドー・フォン・エリックともタッグを組んで活躍しました。

61年5月、35歳でグレート東郷のブッキングで日本プロレスの「第3回ワールド・リーグ戦」に初来日、羽田空港での記者会見では報道陣にソファーを投げつけて暴れ、4月28日、神宮外苑絵画館前広場で満員の大型バス3台(三菱ふそう車)を引っ張るデモンストレーションを行い話題を集め、社会現象クラスの騒ぎとなり、アントニオ人気で「第3回ワールド・リーグ戦」はどの会場も満員、超満員の連続。

5月7日、奈良市近鉄あやめ池公園特設リング大会は何と30,000人発表というこれまでの日本プロレスの興行で最多の観客を動員しています。

これを自分の人気とアントニオは過信。観客動員への貢献を鼻にかけ、ブッカーのグレート東郷にギャラアップとシリーズ参加期間の延長を要求(全戦参加予定ではなかった)。

また、東郷を介して力道山に「エンペラー・ヒロヒト(昭和天皇の裕仁親王)に合わせろ」と要求したのは有名なエピソードです。

しかし、同時来日していた外国人レスラーがヤバ過ぎましたミスターX(ビル・ミラー)、カール・クラウザー(ゴッチ)、アイク・アーキンスらに控室で暴行され、天狗の鼻をへし折られています。

6月2日、蔵前国技館で力道山のインターナショナル王座に挑戦、この試合は制裁マッチとなり1本目は4分、力道山のリングアウト勝ち、2本目は1分58秒、アントニオが戦意喪失して試合放棄となり2−0で力道山のストレート勝ち防衛。

6月9日、高松市体育館でのミスターXとの公式戦(決勝進出者決定リーグ戦、60分3本勝負)、ではリンチに遭い1本目は7分6秒、体固めでXの勝ち、2本目はアントニオが戦意喪失、33秒でリングアウト負けと2−0のストレート負けを喫し、アントニオは1人寂しく帰国の途についています。

【正解解説】本日、1月31日は馬場の24回目の命日となり、元子さんも亡くなってから今年で5年が経とうとしています。二人の馴れ初めは数多くの著書に書かれているように、馬場が三条実業高校を中退してプロ野球の読売巨人軍に入団した馬場17歳、元子さん15歳の時で、以来馬場がプロレス入りしてからも、アメリカ武者修行時代に手紙のやり取りを行うなど確実に愛を育んで来た訳です。

2度目のアメリカ武者修行から帰国した馬場に最初の結婚報道が出されたのは64年6月8日発売の「週刊明星」でお相手は馬場の師匠だった故・力道山の長女に当たる百田千恵子さん。義浩、光雄の姉に当たります。

他に、末娘として前年に力道山と結婚したばかりの敬子未亡人との間に忘れ形見の浩美さんがいますが、報道時はまだ生まれてないか生まれたばかりのいずれか。

6月10日付(9日発行)の「東京スポーツ」一面では馬場が週刊明星の結婚報道を全面否定。

日本プロレスリング・コミッショナー事務局の門茂男の言によれば「馬場に日本プロレスのエースの座を取られまいとする豊登派閥の流したデマ」とのことで、力道山死後、力道山が生前個人で手掛けていた観光開発業、レジャー産業を中心とした「リキ・エンタープライズ」の負債を背負いたくなかった日本プロレスの社長豊登は、「力関の残した日本プロレスの経営は、是非とも我々に任せて欲しい。長男の義浩君が成人(力道山没時17歳)になった暁には社長の座を譲る」と敬子未亡人に手を引くよう言葉巧みに誘導。

豊登、遠藤幸吉、芳の里ら日本プロレス新幹部は力道山が社長だった「日本プロレスリング興業株式会社」とは別法人である「日本プロ・レスリング興業株式会社」を登記しており、興行収入から日本テレビの放映権料までを独占しました。結果、百田家と日本プロレスは絶縁状態となります。

馬場は元子さんと交際を続け、71年にハワイで結婚式を挙げましたが長らく内縁関係にあり、全日本プロレスを旗揚げして10年経った82年7月7日に晴れて入籍を発表しています。

※対戦成績は189戦37勝152敗、勝率196。
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