ストロング小林がヨーロッパ、ケニア、アメリカと2度目の海外武者修行に出ていた期間は70年8月末〜71年6月までおよそ10か月、その間に国際プロレスで起きた出来事を振り返りたいと思います。
国際プロレスは70年夏、デイリースポーツ紙とのタイアップで未来日の強豪レスラーをファン投票により招聘しようという「あなたがプロモーター」という企画を実施。1位には「ギリシャの新星」スパイロス・アリオン、2位には雑誌「ゴング」で大フィーチャーされていた「悪魔仮面」ミル・マスカラスが選ばれました。
実際の人気はマスカラスの方が上でしたが、マスカラスはアメリカでは日本プロレスと親密な関係にあったロサンゼルス地区、フリッツ・フォン・エリックのテリトリーであるテキサス州ダラス地区を主戦場にしており、招聘は困難とみたか、マスカラスとアリオンの順位を入れ換えてアリオンが1位、マスカラスが2位と発表されています。
アリオンは70年9月の「ダイナマイト・シリーズ」に初来日が発表されましたが、日本プロレスの外国人ブッカーをしていたミスター・モト(チャーリー岩本)が当時アリオンが主戦場にしていたサンフランシスコのプロモーター、ロイ・シャイアにコンタクトを取り「国際から呈示されたギャラの倍払うから国際には行くな」と来日にストップをかけ、アリオンは来日をキャンセル。
国際プロレスから発表されたアリオン不参加の理由は「急性虫垂炎」とのことでしたが、アリオンはサンフランシスコで普通に試合に出ており、翌71年2月、日本プロレスは「ダイナミック・ビッグ・シリーズ」にアリオンとマスカラスを2人まとめて同時に呼んで見せ、国際プロレスとの資金力、外交力の違いを見せつけています。
これは企画の失敗で、まさに公開情報漏洩みたいなものでした。日本プロレスが妨害工作に出てくることは火を見るよりも明らかであり、最終的には金額勝負になることはわかっていた訳で、外国人レスラー招聘に関しては秘密裏に進めないと日本テレビ、NETの民放2局放映で潤っていた日本プロレスには敵うはずがありません。
目玉のアリオンが来なくなったことで、慌てた吉原功社長は代替案として、日本初となる金網デスマッチを思いつきます。「ダイナマイト・シリーズ」開幕戦の9月9日、千葉県流山市民会館(観衆1,000人発表)で放送席に解説者として座っていた吉原社長を前の「ビッグ・サマー・シリーズ」から残留したドクター・デス(スタン・ザ・ムース、ムース・モロウスキー)が襲撃、それを小林と入れ替わりに1年間に亘るアメリカ武者修行から凱旋帰国したラッシャー木村が救出に入り、木村とデスの間で遺恨が生まれました。
凱旋帰国した木村は開幕戦での帰国第1戦でマスクマンのブルー・ディモン(前シリーズより残留のレス・ウォルフ)とセミファイナルで対戦、1−1から新兵器の「回転足4の字固め」でディモンをギブアップさせて勝利。
木村とデスの遺恨試合の舞台は当初サンダー杉山にアリオンが挑戦するIWA世界ヘビー級選手権試合が行われる予定だった10月8日、大阪府立体育会館に決まりましたが、アリオンの件で日本プロレスへの情報漏洩を恐れた吉原社長は、逆に金網デスマッチの件は事前に一切マスコミにリリースせず、ポスターや宣伝カーでも告知していませんでした。
マスコミに発表されたのが前日10月7日の夕方。夕刊紙の東京スポーツは掲載が間に合わず、8日の府立は2,000人発表という厳しい入り。アリオン不参加の穴を埋めるべく折角発注した金網が観客動員に全く寄与しないという有様…。
金網デスマッチの方は外国人レスラーの招聘とは違い、考えられる妨害工作と言えば、せいぜい同日に興行戦争を仕掛けて来る位です。しかもこの時の日本プロレスは「第1回NWAタッグ・リーグ戦」の真っ最中であり金網デスマッチを上回るインパクトのあるカードを提供出来るとは考えにくく、仮に興行をぶつけられても「初モノ」の強みで事前告知しないよりは確実にお客は呼べたはずです。
日本プロレスがいくら武闘派揃いとは言え、金網の保管場所を探して金網を壊しには来ない(やれば犯罪)と思うので、やはりここは吉原社長のセンスがなかったな、と考えざるを得ません。
試合前に金網を設営している段階で設計ミスがあり、出入口のドアを作っていなかったことが発覚。仕方なく3面まで張ったところで木村とデスを入れて、選手が入ったところで最後の1面を組入れて、閉じようとしましたがうまく閉じず、若手が手で支えて試合開始のゴング。
反則のやりたい放題で、デスの凶器攻撃で木村は額から大流血、上半身が朱に染まり大ピンチ、デスは得意のドリルアホール・パイルドライバーを出しましたが木村は堪え、ブルドッキング・ヘッドロックの連発でデスをマットに沈め、17分22秒、KO勝ち。
当時の国際プロレスの金網デスマッチのKOルールは3カウントのフォールを奪った後、タイムキーパー(リングアナ)が30秒数え、さらに10カウントを入れて勝敗が決まる「43秒ルール」が採用されていました。後にこの「43秒」は長過ぎるとして改定され30秒数えるのが撤廃され、ギブアップなら一度でもギブアップすればそれで終わりなので、木村は逆エビ固めでのフィニッシュを多用することになります。
木村とデスの金網デスマッチは10月14日にTBSで録画中継されましたが、番組終了後から「残酷過ぎる」「子供には見せられない」と苦情の電話がTBSに殺到、事態を重く見たTBSでは以後金網デスマッチは放送しないと発表しました。
国際プロレスではこれを逆手に取り「生でしか見られない激闘」として金網デスマッチを興行の売りにしていきますが、賛否の比では否の声が高く、「スポーツではない残酷ショー」、「アメリカはともかく、日本でアレをやってしまったらおしまい」という批判的な声も多数上がりました。
壮絶な死闘の末、デスに金網で勝った木村は「金網の鬼」として国際プロレス内でのポジションを確立していくことになります。
ログインしてコメントを確認・投稿する