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2022年02月08日06:57

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ストロング小林さん追悼(33)

70年国際プロレス春の祭典「ワールド・チャンピオン・シリーズ」(第2回IWAワールド・シリーズ)は3月11日、横浜スカイホールで開幕。第1回優勝者、初代IWA世界ヘビー級王者ビル・ロビンソンが10か月ぶりに来日、他イワン・ストロゴフ、グラン・ブラジミア、ジミー・ダラ、コンデ・マキシミリの外国人選手が参加。

日本側にはアメリカ、ヨーロッパで活躍していたフリーランスの清美川が助っ人参戦しています。そのプロフィールは謎の多い人物ではありますが、清美川梅之(きよみがわ うめゆき)、1917年1月5日 秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身。本名は大橋梅之助(婿入りし改名、出生時の名前は佐藤梅之助)。高等小学校卒業後、大相撲伊勢ヶ濱部屋に入門、薩摩川の四股名で34年初土俵、直ぐに清美川に改名。美男力士として出世も早く、38年初場所に新十両、40年夏場所に新入幕。第二次世界大戦中の42年夏場所では昭和の大横綱、「角聖」と呼ばれた双葉山を破る大金星を挙げています。

当時の大相撲は東西対抗戦方式(番付の東と西との対抗戦)を採用、43年夏場所には、西前頭14枚目で11勝4敗の成績で優勝旗手の栄誉に輝いています。優勝騎手とはその東西対抗戦時代の片側の優勝を指し、西側で一番勝ち星の多かった力士となります。ブロック優勝みたいなものでしょう。(同場所の幕内最高優勝は15戦全勝の東横綱、双葉山)

将来を大きく嘱望された力士でしたが、家業を継ぐという理由で戦後の46年11月に廃業。最高位は東前頭筆頭、天龍源一郎と同じです。

53年プロレスブームに乗ってプロレスへ転向、大阪を拠点にし山口利夫と共に旧全日本プロレスを旗揚げ。54年2月には力道山がシャープ兄弟を招聘して開催した日本プロレスの初のプロレス国際戦に参加。55年からは木村政彦が熊本を拠点に主宰していた国際プロレス団(国際プロレスとは別モノ)に移籍、56年5月15日に両国国際スタジアム(日大講堂)で木村政彦とのタッグでメキシコのラウル・ロメロ&ヤキ・ローチャ組を破り、中南米タッグ王座を獲得しています。

団体消滅後は、メキシコ、南米、アフリカ、ヨーロッパなど世界各地を転戦。アメリカのNWAトライステート地区では、戦前に活躍した日本人レスラーのキラー・シクマこと志熊俊一にあやかり、トーゴー・シクマを名乗り。67年5月16日には弟子筋にあたるシャチ横内と組んでジャック・ブリスコ&ゴージャス・ジョージ・ジュニア組を破って同地区認定のUSタッグ王座を奪取し、10月7日にダニー・ホッジ&スカンドル・アクバ組に敗れるまで保持していました。

前69年3月、吉原功社長の海外視察で国際プロレスとのパイプが出来、今回56年以来14年ぶりに日本マットで試合をすることになりました。

その後は74年1月に国際プロレスに再登場、ストロング小林の国際プロレス離脱に助力したと言われ、74年3月19日、新日本プロレスの蔵前国技館での猪木と小林の初対決のレフェリーを務めました。全日本女子プロレスのコーチ兼レフェリーに就任、ビューティ・ペアブームの時代にはビューティ・ペアvsブラック・ペアの抗争のレフェリーとして活躍、フジテレビの中継に登場、顔と名前は全国区に広がりました。

全日本女子プロレス退団後はやはり全女を退団した阿蘇しのぶらと78年に新団体「ワールド女子プロレス」旗揚げを画策するも旗揚げ前に頓挫、翌79年には再度「ニューワールド女子プロレス」を旗揚げしましたが1シリーズ開催したのみで活動休止、表舞台から姿を消し、80年10月13日、63歳で亡くなっています。

私生活ではプロレスラーとして海外を拠点に試合をする為に離婚。男の子をもうけていましたが、その子供が銭湯で接触した小児愛者の男性に誘拐された上殺害され、手足をバラバラにされた挙げ句、ホルマリン漬けにされて保管されていたという猟奇殺人に遭ってしまったなどの暗い過去があり、最後まで陰のある人生を送った人物でした。

話を元に戻します。前回優勝者のロビンソンは予選をシードされ、予選の代表者が5月14日、台東体育館でロビンソンと優勝決定戦を争うと発表された訳ですが…。予選が物議を醸すことになります。予選の試合形式について、国際プロレス側からは何の発表もありませんでした。

開幕戦は3月11日、横浜スカイホール(テレビ生中継、観衆2,000人満員発表)。ロビンソンはビザの不備があり開幕戦には間に合わず。

メインイベントは小林が清美川とタッグを組み、ストロゴフ&ブラジミア組と対戦。1本目は11分14秒、清美川がブラジミアを体固め、2本目は2分13秒、ブラジミアが清美川を体固め、決勝の3本目は2分1秒清美川が外国人組に反則勝ち。2−1で小林&清美川組が勝ちました。

清美川はこの時53歳、現在であれば53歳の日本人プロレスラーは鈴木みのる、永田裕志など珍しくなくバリバリ現役ですが52年前の53歳はかなり高齢で体力的にはかなり厳しいものがありました。

セミファイナル以下外国人選手の試合は生中継ということもあってか15分1本勝負で行われ、サンダー杉山はマキシミリを14分53秒、時間切れ7秒前で体固めで破り、グレート草津はダラと15分時間切れ引き分けに終わりました。

第2戦、3月12日、水戸市茨城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆4,000人満員発表)大会、メインイベントは前日の開幕戦に続き、小林&清美川組が登場。ストロゴフ&ダラ組と対戦。1本目は12分14秒、ストロゴフが清美川を体固め、2本目は3分55秒、小林がダラを体固め、決勝の3本目は5分26秒、小林がダラを体固め。小林が2本フォールを奪って2−1で小林&清美川組が開幕戦から2連勝。

セミファイナルの草津とマキシミリのシングルマッチ45分3本勝負は1本目は14分53秒に体固め、2本目は53秒に反則で草津が2−0のストレート勝ち。杉山とブラジミアのシングルマッチ30分1本勝負は18分17秒に両者リングアウトの引き分けにとなっています。

第3戦、3月14日、埼玉県上尾市日産ディーゼル自動車体育館(テレビ収録、観衆4,000人)大会から来日が遅れていたロビンソンが参戦、ブラジミア&ダラとトリオを結成し、草津&杉山&清美川組と対戦。1本目は11分2秒、草津がアバラ折り(コブラツイスト)でダラからギブアップ勝ち、2本目は4分15秒、杉山がダラを体固め、決勝の3本目は2分13秒、杉山がダラを体固めで押さえ、杉山が2本取る活躍を見せて2−1で草津&杉山&清美川組の勝利。

セミファイナルでは小林とストロゴフがシングルマッチ45分3本勝負で対戦。両者は前69年5月18日、フランス・パリのエリーゼ・モンマルトルにおいて小林は豊登と、ストロゴフはロシモフと組んで初代IWA世界タッグ王座決定戦で対戦、決勝フォールは小林がストロゴフから奪って豊登&小林組が勝って初代王者になっており、それ以来の因縁となりました。

1本目は12分48秒、ストロゴフが体固め、2本目は2分48秒、小林の反則勝ち、決勝の3本目は2分48秒、小林が体固め、2−1で小林が勝ちましたが、2フォールは奪えず。

マイティ井上はマキシミリとシングルマッチ30分1本勝負で対戦し15分22秒、体固めで敗れています。
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