68年10月、ヨーロッパ武者修行に旅立った小林省三はまずは提携先であるプロモーター、ジョージ・レリスコウのいるイギリスで実戦特訓を開始。
10月14日、キングストンで直近まで国際プロレスに来日していたロイ・ブル・デービスと対戦(勝者不明)。以後は
10月23日、ロンドン・ロイヤルアルバートホール ○ジョン・コックス 国際プロレスのリングでは軽く捻られた「原爆ヘッド」Jコックスにレフェリーストップ勝ち。
10月26日、リムグローブ (勝者不明)グアイ・デービス
11月4日、スコットランド ハミルトン ○ジャック・ローランド(カウントアウト)
11月5日、スコットランド アバディーン ○マーク・アンソニー(反則勝ち)
12月11日、ロンドン・ロイヤルアルバートホール ○ブルーノ・アーリントン
12月16日、キングストン (勝者不明)Jコックス
1969年
1月3日、キングストン ○オスカー(クラッシャー)・ブル・ベドウ(力道山死後の64年2月に日本プロレスに初来日が予定されていたが、グレート東郷のブッキングであり、東郷と日本プロレスの絶縁により来日キャンセル、その後一度も来日しなかった幻の強豪)
1月6日、キングストン ○アルバート・ウォール
1月8日、コベントリー ○アル・ヘイズ
1月20日、キングストン (勝者不明)パット・ローチ
2月20日、スコットランド・ペイゼリーアイスリンク (勝者不明)ガルガンチュワ
3月3日、キングストン (勝者不明)ワイルド・アンガス
4月には西ドイツ(東西融合前)のカールスルーエ・トーナメントに参戦、西ドイツの興行形態はハノーバー・トーナメントやブレーメン・トーナメントで知られるように同じ試合会場で約1か月前後の期間、同じメンバーが試合をする大相撲本場所のようなスタイルでした。
以下はカールスルーエ
4月5日、○フランク・オリーク
4月6日、○デーブ・モーガン
4月7日、○ヘルマン・レファンド
4月8日、○ピーター・カイザー
4月9日、△ジーン・ルイス・ブレストン(時間切れ)
4月10日、△ジェフ・ポーツ(時間切れ)
4月11日、○ジル・ボワニー
4月12日、△マイケル・ネイダー(ミッシェル・ナドール、時間切れ)
4月13日、○ポーツ
4月15日、○レファンド
4月17日、○ブレストン(反則勝ち)
4月18日、▲ネイダー(ノーコンテスト)
4月19日、(勝者不明)ポーツ&小林組vsギディオン・ギダ&ボワニー組
4月20日、○カイザー
4月22日、○ギダ
4月23日、○ウォルフガング・サトルスキー
4月24日、○ホースト・ホフマン
日本での低迷ぶりが嘘の様な快進撃。国際プロレスでは勝たせてはもらえなかったJコックス、ウォールに勝ち、国際プロレスに来日することになるローチ、アーリントン、モーガン、ブレストン、ボワニー、ネイダー、ホフマンらと既にこの時対戦しています。
カイザー、Wサトルスキーは国際プロレスには来日しませんでしたが後に新日本プロレスのリングに登場。ギダは未来日に終わりましたが、ビリー・ライレー・ジム出身で、ビル・ロビンソンがスープレックスを教わったという「スープレックスの元祖」でした。
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