mixiユーザー(id:33884029)

2020年08月31日06:28

19 view

チベットいうところ(その2)

チベットというところ(その2)

チベットは、有史以前の洞窟遺跡「梅竜達普洞穴遺跡」も発見されており、古くは、シャンシュン王国、グゲ王国があった。 それらの王国は、西部チベットの中心であり、インド、ネパールの貿易拠点として栄えた。さらに、キルギス側からシルクロードのオアシス都市トルファン(吐魯番)にも行けたのである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/garitiku.pdf

また、東部チベットも、シルクロードのオアシス都市トルファン(吐魯番)とナクチュを経て繋がっていた。そのナクチュにおいても旧石器時代中期から末期の打製石器が数多く発見されている。ナクチュも古くから栄えたところである。 ナクチュで最古の記録に残る政権は象雄政権(シャンシュン王国)であり漢文の資料で羊同と称されるものである。チベット語の史籍ではこの地区は「卓岱」と呼ばれていて「遊牧部落」を意味する。この地域の住民は遊牧民を意味する「卓巴」または北の人を意味する「羌巴」または北の部落を意味する「羌日」と呼ばれていた。

トルファンの近くにあ新疆ウィグル自治区の首都ウルムチからはモンゴルに行く道が古くからあったので、チベットは古くからモンゴルとも繋がっていたのである。

有史以前のことは、以上のことぐらいしか判らないが、ラサがチベット仏教の聖地として発展し始める頃になると歴史がはっきりしてくる。
インドで起こった仏教の中で、北伝仏教とも言われる大乗仏教が、7世紀ごろ、チベット(吐蕃)に伝わりソンツェン=ガンポ王の保護を受け、チベット固有の土着宗教であるボン教という呪術的な宗教と融合して独自に発達し、チベット仏教となった。吐蕃王朝は衰退したが、チベット仏教はその後モンゴルやネパールにも広がった。

インドの仏教は、401年、鳩摩羅什によってシルクロードを通じて中国に伝えられたが、上に述べたように、シルクロードとは別ルートでチベットに入ってきて中国とは異なるチベット独特のチベット仏教として発展した。そして、チベット仏教はシャングリラに伝えられた。チベットとシャングリラは茶葉古道を通じて古くから往来が盛んであったのである。
http://www.fl.reitaku-u.ac.jp/~kanamaru/chaba/index.html



0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する