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日記一覧

「100匹目の猿現象」について「100匹目の猿現象」について、私は、「脳と波動の法則・宙との共鳴が意識を創る」(浜野恵一、1997年3月,PHP研究所)からの引用として、次のように書いた。すなわち、『 「100匹目の猿効果」といわれている、奇

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三国志(その1)
2018年01月27日12:04

その1、桃園の誓い桃園の誓い(とうえんのちかい)は、桃園結義(とうえんけつぎ)とも称され、『三国志演義』や『通俗三国志』ならびに吉川英治の三国志の序盤に登場する劉備・関羽・張飛の3人が、宴会にて義兄弟(長兄・劉備、次兄・関羽、弟・張飛)とな

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白洲正子「かくれ里」から白洲正子の名著に「かくれ里」(1991年4月、講談社)がある。その中に「山国の火祭り」という随筆があって、次のように書いている。すなわち、『 京都は花背原地町の峯定寺の前に、美山荘という料理旅館があって、おいしい山菜料理を

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大久保一翁(その10)
2018年01月21日11:21

大久保一翁(その10)大久保一翁は勝海舟と計らい官軍の真の実力者である西郷隆盛へ陳情して和平交渉まで漕ぎ着け、3月14日の西郷・勝会談により官軍の総攻撃が中止される事になった。この時の会談は勝の残した記録では自分一人で西郷と会ったとしている

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大久保一翁(その9)
2018年01月18日09:09

大久保一翁(その9)上述したように、元治元年7月に勘定奉行を命ぜられるも、 一橋慶喜の第二次長州征伐に反対し、就任数日で勘定奉行を御役御免となる。勤仕並寄合となる。政治に関わることに嫌気がさした大久保は隠居を願い出、元治2年2月に息子に家督

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大久保一翁(その8)
2018年01月14日12:44

大久保一翁(その8)文久3年4月、大久保忠寛は松平春嶽や横井小楠と書簡のやり取りをしており、そこにも大久保の思想が強く表されている。すなわち、『 幕府の対外政策は根本から誤っている。和の場合こちらの軍備が整っていないから戦わないという事で、

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音羽山観音寺
2018年01月11日06:00

音羽山観音寺位置:https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9F%B3%E7%BE%BD%E5%B1%B1%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E5%AF%BA/@34.5009061,135.8461864,13z/data=!4m5!3m4!1s0x6006ca392409e28d:0x815dfa7130fb01cf!8m2!3d34.4794!4d135.879317観音寺(善法寺)の沿革

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大久保一翁(その7)
2018年01月11日05:45

大久保一翁(その7)では次に、大久保忠寛の本領の一つである思想について述べておきたい。松平春嶽は、横井小楠から、開国通商、殖産興業、国民会議の設置など、日本の根本的な改革を教わり、積極的な開国通商を行うべしとの開明的な政治感覚を持つようにな

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地の底の声
2018年01月08日05:11

地の底の声―筑豊・炭鉱に生きた女たちまぶべこ(短い腰巻)を身につけ女性たちが働いたのは、福岡県の筑豊(ちくほう)。遠賀川(おんががわ)沿いに広がる筑豊は、明治から昭和にかけて日本一の炭鉱地帯でした。かつて全国の出炭量の半分を担った筑豊。二百五十

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大久保一翁(その6)
2018年01月07日16:58

大久保一翁(その6)大久保忠寛は勝海舟を阿部正弘に推薦し、そのおかげで勝海舟は、安政2年1月、下田取締手付・異国応接掛附蘭書翻訳御用に任じられて念願の役入りを果たし、海舟は自ら人生の運を掴むことができたのである。安政2年8月、長崎海軍伝習所

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大久保一翁(その5)
2018年01月04日08:13

大久保一翁(その5)嘉永6年、ペリー艦隊が来航(いわゆる黒船来航)、開国を要求されると、幕府老中首座阿部正弘は幕府の決断のみで鎖国を破ることに慎重になり、海防に関する意見書を幕臣はもとより諸大名から町人に至るまで広く募集した。これに海舟も海

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大久保一翁(その4)
2018年01月01日07:10

大久保一翁(その4)天保13年9月、父大久保忠尚死没。12月に家督を継ぐ。そして、寛永2年1月に忠寛に改める。その後、寛永7年2月、老中・阿部正弘の引き立てがあって、七番組徒頭となった。将軍外出のとき、徒歩で先駆を務め、また沿道の警備などに

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