漫画を読んでいたら、jkのショーツがゴムがビロンビロンのユ〜ルユルで落ちてしまう、とあり、私の両眼が飛び出したんだけれど、作者が女性なのでリアルに思え、私自身は未知だけど、本当に日常ではこういったこと日常茶飯事にあるのか、と女子に尋ねると、いまんとこ誰も話を方向展開して真実を教えてくれない。これはタブーなのか、それとも話を訊こうとすること自体がタブーなのか、となる。
それはそうと、本屋に行くと、ダッシュスノーの本が本屋にあって、両目が飛び出した。ラリークラークやシュナーベルは彼のことを映画化することはありえないのだろうか。たぶんないだろう。ラリークラークは直接知ってるのか間接的なのかは分からないけれど、たぶん知ってるだろうけれど、彼は描くもの表すものにおいて現在形の若者にしか興味がないだろう。でも、彼が描くものにはダッシュスノーの残像がある。シュナーベルはバスキアは盟友で、ゴッホは知らない時代だからだろうけれど映画にしちゃったけれど、知らないか知ってるか分からないし、知っててもスノーのことは過小評価しそうだから映画にしないとは思う。でも、けっこう作風は似ている。するかな?
ヴァイスランド、スケボーからの視点での番組だけれど、或いは、だからか、意外とスパイクとハーモニーのテクストの全貌を掴んでそれそのまんまを言ってるような気がする。スパイクもスケボーやってた頃はヤンキーだったんだな。。アメリカ北部生まれだから、それはそうなんだろうけれど。スパイクの西側と違い、場所が変わればハーモニーの東側、スケボーは凶器として使用されていたのか。てか、いまのスケボーやってる若人にスケボーって言ったら?という表情された。なんて呼ぶんだろう?
ホイットマンやトウェインの精神はまんま受け継がれてるように思うし、メイラーのホワイト二グロなヒップ感覚、その実験性、ノンフィクションにメタフィクション、まんまアメリカの実存性を受け継いでいるようなとこあるのかな、となる。
Dash Snow
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