『渚にて』 核フォビア、赤フォビア、ニューフロンティアへの夢への危ぶまれ、そんな時代の作品である。約半世紀前には、兄弟よ、まだ遅くない、というメッセージがなされていたにもかかわらず、アトムよ、ほとんどもはや後戻りも前のめりも出来なくなった
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』さっぱり分からなかった。前のまた見直そう。 『シン・ゴジラ』の絵コンテのようなショットが順繰りに並ぶコンティニュイティに比し、省略などでのリズムが気持ちいい。アニメの方がやはり活き活きしているな。『シン・ゴジラ
姪がけっこうシーンと静まってるなかオレだけがゲラゲラ笑っていたと言っていたが、日本のシアターは笑い声も喝采もあまり聴こえてこないので不思議である。アメリカ人たちは大声出して観ている。スピルバーグやイーストウッドを観ているなか、やはり映画は劇
『1941』 スピルバーグの夢が詰まった国辱的な映画である。これまで何度も観たけれど、映画を観るとき、なんともくだらない作品だと思ったり、その逆に、なんと凄い映画だと思ったりするけれど、『1941』にはそれがまさにありまくる。 ジョン
『エニイ・ギブン・サンデー』は凡庸なつくりだったな。『ナチュラル・ボーン・キラーズ』などは好きであるが、急進的というか、なにかかなり偏った見方で史実を捉えるセンスにコワさを感じたりして、あまり観ようとしなかったオリバーストーンであるが、最近
パラマウントはいまだ強力なんだな。ドリームワークスはパラマウントの傘下なのか。コロンビアはソニーの傘下なのか。MGMとユナイテッドアーティスツはほぼ壊滅状態なのか。ふたりともユニヴァーサルから始まったのか。イメージのイシューにおいてスピルバー
ハリウッドクラシックの時代に、スタンリークレイマーとリチャードブルックスはハリウッドがあつかおうとはしなかったテーマを選び映画化した。ステューディオから離れ、独立系プロデューサーだったから成せた業と言われるが、その後に現われるニューハリウッ
覚書� .▲ぅ�ってどんな人?いつも笑顔の好々翁。そう思われていたアイゼンハワーの50年代。ホームドラマ『パパは何でも知っている』がお茶の間の人気者になっていた時代に、アイクは登場する。お姫様オリヴィア・デ・ハヴィランドはいなくなっても、スモ
かつてはマイケルベイやジェリーブラッカイマーが好きと言ってる奴がいると、心のなかでアホボケと思っていたけど、さいきん急激にエンタメに目がいくアホボケになってきている。『ザ・メキシカン』『Mr.&Mrs. スミス』『ローン・レンジャー』『カウボーイ &
スピルバーグのデビュー作はコロンボではなくロッドサーリングだったのか。友人がロッドサーリングを連呼するものだから、覚えてしまい、トワイライトゾーンにも関心を持っちゃったんだけれど、未だに観ていない(そして彼は、スピルバーグもとっても好き
インディジョーンズのクリスタルスカルの王国とイーストウッドのスペースカウボーイの冒頭に表わされる超高速戦闘機のころが、1957年や58年。日本では村田秀雄の無法松の一生が流行り、岸とアイクが新安保条約の調印に向かうころ。まさにアメリカはウハウハの
Dorian Reeds (For Brass) 1 - 100 Music for 18 Musicians
『真夜中のサバナ』 冒頭の少女像が不気味である。オカルト嗜好のイーストウッドが不気味である。かつて観たことあるが、ストーリーをさっぱり忘れていたが、アリソン・イーストウッドがなんてとても綺麗な人なんだろうと思った記憶のみが鮮烈にのこってい
『ホワイトハンター ブラックハート』、ラストは良心の呵責があったから「アクション」なのかな。。なんだか、2時間近く見せられ、破天荒な主人公の生き様を全否定されているかのように感じてしまった。そうした善悪のまとめ方にしてしまうとアメリカ映
『センチメンタル・アドベンチャー』 カイルイーストウッドはベースではなく、ギターからはじめたのか。イーストウッドは歌やギター、ピアノを披露する。味わい深いシットリホッコリとした作品。邦題とポスターみると、なんとなく切ないイメージだったけれ
ジョーズからヒットを連発し頭にのっていたスピルバーグは、コメディだってボクがつくればみんな笑いの渦、大ヒット間違いないのさ。一番つくりたいのはコメディなんだ、ボクにはコメディをつくる才能がある、と豪語して『1941』を公開したら大コケ。ウォ
ウディアレンにおけるスーザンEモースやスコセッシにおけるセルマ・スクーンメイカーの、そのショットにおいての、次のショットへ変わるときまでのフレームの数がよくある映画に比べ多くて独特のリズムつくっていること感じるのと比し、スピルバーグにお
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』 スピルバーグは子供たちの解放を謳い、平等を希求する。一方、ルーカスはアメグラに表わされるようにアナログ ヴァイニル オールディーズを愛し、スペースオペラやコミックを愛す。テクストに蔓延する偏見なんかへ
こないだ、蓮見と黒沢清のスピルバーグイーストウッドタランティーノなんちゃらかんちゃらを借りる。読んじゃうと考え的に影響を受けちゃったらいけないから避けていたけど、パラパラめくると、対談集だから、資料的なもの程度しかなく、まっいいかと借り
ひとつの党にはひとりの候補者しかいない。ジョンウェインのような不器用で無作法、女性には紳士的である寡黙な”頼れる男”はもういない。泣き言をいってナショナリズムを煽る時代か。思えば、イーストウッドは寡黙であるが、彼のテクストはヒステリックな叫
フィリップ・ロスの原作もポピュラーだけれど、映画の方も知られている『さよならコロンバス』。キャサリン・ロスが『卒業』で人気者になったように、アリ・マッグローもこの作品で人気者に。主人公を演じたリチャード・ベンジャミンは80~90年代、多くのコメ
『ダーティハリー4』 ダーティハリー4、驚くほどにダーティハリーしていた。お約束事も当たり前か、ダーティハリーだもの。スピルバーグと同様に、イーストウッドもまたトリュフォーを敬愛しているのか。スピルバーグはトリュフォーの作品を純粋に好き
お人好しなフツー人の内に潜在する、構想力と想像力がスピルバーグに表わされる。トムクルーズであるがゆえ『宇宙戦争』の主人公は見た目はフツー人には見えずにヒーローであるが、初盤のダメンズぶりにより、彼のフツーにどこにでもいるアメリカンメ〜ン
『J・エドガー』において、エドガーはライターに彼の半生を語る。己のみのイストワールを綴っている。彼にとっては真実であること。イストワールに綴られるものは、コンプレックスにより「男」として生きることが出来なかったというより、ひとりの「人」
フロンティアアメリカンの活力を生むネイチャーとは、フロンティアに見出される自然と(人間的)本質の不可分な平等性であり、シティは自然から乖離されたものなのではなく自然の中に生まれ在るものである。それはアメリカにあるものなのだけ
ハンクス、スピルバーグ、イーストウッド http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954226932&owner_id=2566286ブリッジ・オブ・スパイ http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954259816&owner_id=2566286スピルバーグとイーストウッドの恋愛もの http://mixi.jp/vie
福岡は大雨、クルマのワイパーをマックスのスピードにあげる。欽ちゃんの横歩きのように動くワイパーと、人を襲ってくるようなパニック映画のような雨をみながら、ディザスター映画『雨』の構想が生まれる。 ディザスター映画『雨』、黒い雲が動き、そ
『リンカーン』 かつて観たときはあまりにいろんなエピソードが入り乱れている感じがしたし、会話が多すぎて、ハナシの流れ的にいまひとつ理解できなかったところあった。今回もまるで国会中継を見ているようなとこを感じたものの、現在の日本のこともある
『ジョーズ』相変わらずお上手である。このセンテンス、きっとみなサムくなってくれたと思う。夏によいと思う。久しぶりに観るが、この作品なんか観ると、スピルバーグはやはり凄く上手いストーリーテラーであること再認識。昔からよく言われるけど、この作品