正義の声を発するところは、なにかアメリカ映画的なヒューマニズムでいかにもだったけれど、公権力を笑い飛ばすやり方は日本的な土着的なものを感じた。三國連太郎って個性が強すぎて『飢餓海峡』も『利休』もどれもこれもこれまでわからなかったけれど、この
ストレンジ・デイズだけしか観ておらずハート・ロッカーもゼロ・ダーク・サーティも未見だけれど、ビグロー気になっていた。秩序がなくなる、論理がなくなる、と彼なりの正義を通したのだろうけれど、非道である。根本から考えさせられる。上司からキッド呼ば
『どん底』見当がつかない人生は羅生門からずっとある。黒澤には人の事が不憫にさえ思えないドライな人生観が表される。誰しも自分のことで一杯一杯だ。今村はドライに表されても、未練が物語を動かしてしまう。不憫と未練の違いが、黒澤と今村の間にある。作
都市空間と肉体の考察のために観る。ってのは嘘で、理屈ではなく、観たいから観る。これぞまさしく都市空間と肉体への思考である。 『蜜のあわれ』 あたいが見る鏡の断片に己が現れている。怖いもの、情を見ている。あたいは自分を見
へー、溝口にも宮本武蔵があるんだ、と知りグーグると、なんとも酷評、でもって抱腹絶倒らしい。こういった世間から相手にされない呪われた映画は気になるが、製作されてから50年経っても、カイエからも映画芸術誌からも再評価もされていないのだからますます
左と右だけでなく前衛も後衛も分からなくなった70年代にヤマサツは志を反映させる作品を大作として数多くやったこと、凄かった。『皇帝のいない八月』、黒澤が悪い奴ほどで上の者は常にふてぶてしく生きていき、天国と地獄の下の者の憤り、今村の安保闘争のあ
どですかでん、かつて観たときは、かつての黒澤作品に比して、観念的すぎて芸術映画気取りで、いつ終わるのかとヘロヘロだったように記憶するが、今回は見いちゃった。面白かった。伴淳、やはり上手いなぁ。客を連れて家に帰ってきてからのあの長回しの切り取
『処女ゲバゲバ』の望遠鏡に見える乳房には、慈愛が表されていたのか。消えることなく、その有様として存在し続け、慈愛に痛みが感じられている。『聖母観音大菩薩』の八百比丘尼は悲しくはない、痛いだけです、と言うが、慈愛永劫に未来には痛みのみが残りゆ
コミック映画なんていらない!自己諧謔的にジャポネをバカにするオープニングからエッフェルの真下の回転ショット、螺旋する覗きカラクリに連れ込まれる様のよう。ノワールの温床の地である巴里を舞台にした、ファムファタルに翻弄されるフィルムノワール『エ
中村倫也ロスする以前に、中村倫也が登場するところにすら到達していないのだが、そもそも豊川悦司のところで働き始めるところにも到達していないので、しょうがないから高嶺の花の第一回を観る。峯田あまり上手くない。石原と芳根の共演は貴重である。ふたり
殿山泰司、クロサワのにもイマヘイのにもワカマツのにも出ているのか、、そんな感じは全くもってしていたが。『三文役者』久しぶりに観たくなる。殿山泰司、裸の島の印象からか、それに彼が出演してる多くの作品からも感じるもの、ほとんど言葉を発しないイメ
『天国と地獄』エド・マクベインが原作だからか、金の亡者が真人間になるのは、アメリカン映画の典型の如くであり、アメリカンにもウケるのは必至。悪い奴ほどのクラく過去ある男の三船より、土下座されることを嫌い豪快にして人間味をやがて見せる三船の方が
左幸子の妹だとずっと思っていたが、コンバンワ芳村真理のリルシスだったのか。吉村実子の素朴にも日本的土着性あるエロスが『豚と軍艦』の好きな大きな理由だと思える。大島渚が首が長い美形をヒロインにいつも置くのに比し、イマヘイはズッシリした土偶系の
他の黒澤作品や今井正の『真昼の暗黒』や小林正樹の『切腹』や山田洋次の『霧の旗』やヤマサツの『白い巨塔』や岡本喜八の『日本のいちばん長い日』、そして『私は貝になりたい』と同様、『悪い奴ほどよく眠る』に表されるもの、それは利用される者の悲劇や汚
若者たちは革命を求めているが、それは性愛に置き換えられているのでしかない。『処女ゲバゲバ』である。御殿場に現れるオテンバたち。遊びが止まらない。遊びばかりしてたら、いかんねん。しかし観念的だけれど、足立正生の脚本ほど理念ぽっくならず大和屋竺
骨は止まり生に対する執着を記す。好きな『復讐するは我にあり』を久しぶりに再見。やはり力強い。絵がドッシリとしている。倍賞美津子の●●●を三国連太郎が×××××するとき、●●はペケペケとなり、×××はホニャラララとなり、アレはバツバツ、尚且つ
90年の新宿、今は歌舞伎町だいぶ変わったようだけれど、私が行ってた頃の数年前の新宿と変わらなかったな。未見の三島のも観なければと思う。浅間山荘のを観たからかなり感動したのかな、『われに撃つ用意あり』である。右の総括と左の総括よりずっと前の右も
にっぽん昆虫記や赤い殺意の方が凄いという人の方が多いのだろうけれど、そしてこれらの作品による積み重ねられた認識によってパルムドールとなったんだろうけれど、楢山節考ストレートに直球、やはりコナンザグレート。たびたびインサートされる人間ではない
『隠し砦の三悪人』七人の侍や用心棒のようにエンタメ寄りの作品と思ってかつては観たからか、そうした考えのもと、義を重んじない人物たちが出てきて、あまり爽快な感覚をもてない作品の印象だったが、今回はとてもオモシロく痛快に感じる印象で観賞を終える
『婚約者の友人』ラストはちょっとこれ見よがしにわざとらしさを感じたけれど、彼女が見つめるものは、オゾンがいつも表すテーマと同じように、虚実の境界線の消失なのだろうか。最初は、オゾンへの先入観により、ちょっと女性的なフランス人男性ゆえに、ヤオ
『影武者』シェークスピア好きなのはあろうけれど、黒澤明がリア王描いたのは、ゴッドファーザーの3兄弟の愛憎確執からの影響もあるのではないか、と乱同様にオペラティックな影武者を観ながら、思えてくるものがあった。ええじゃないかと同じように、倍賞の
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』予算がないことによりテレビの再現ドラマ的につくられているという評もあるけれど、んなものなく、ヨミウリでもマイニチでもテレアサでもなく、まさにワカマツである。テンポのよいモンタージュ、既成のフーテージと演
『ええじゃないか』緒形拳の有終の美はQoolだったけれど、その美学はけっきょくサムライとしてのそれであり、クールに華散らす。自由にはなりえない。その虚しさが、この作品のすべてで表される。自由のオンナ桃井かおりはこの寸止めに合わなかったかもしれな