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2020年01月16日00:58

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中世の日本は一種の二重王国

○「世界最小の独立国家」と言われるバチカン市国。実際は、イタリア国内の自治都市にすぎません。なのに、なぜ「独立国家」と言われるのか。その理由は、ローマ教皇庁が「ホーリールー」という名称で「国連に加盟する独立国家」だからです。ただし、この場合は、イタリア国内にある教皇領および教会領も「国土に含む」ので、「上野公園ぐらいの広さしかない」というほど「小さな国」ではないんです。でも、イタリア政府は、それを認めてないんですね。イタリア政府が認めているのは、あくまで「バチカン市」の中だけの「高度な自治権」のみ。よって、国内では「自治都市」にすぎないものが、国際社会では「独立国家」として認められていることになるんです。複雑な「歴史的背景」があるからですね。

○戦国時代の天皇家は、京都市内の「碁盤目状に整備された京洛の中」だけを領域としている「小さな存在だった」と、一般的には思われています。実際は「東海地方から西」の全国規模で、大量の「荘園領地」を持っていました。歴史学者なら、このくらいは知っていますが、そこから先の「理解」に進まないんですよね。天皇家の領地は「天皇の統治権が及ぶ場所」なのですから、これを「天皇王国」と仮に設定してみるんです。公家の荘園領地も含まれます。寺や神社の荘園領地も含まれます。そして、これらは「幕府の統治権が及ばない場所」なのですよ。すなわち、室町時代の日本では、天皇の統治下にある場所と、将軍の統治下にある場所が「混在していた」ことになるわけです。よって「天皇王国」と「足利王国」が「二重に存在して、並立していた」と考えてみたら、どうなります?

○前回は、単純に「律令制」にあてはめて、日本国のレグナントが天皇、リージェントが将軍で、信長は「将軍から任命されたリューテナント」としましたが、これでは「将軍が飾りものにならない」代わり、天皇が「何も実権を持たない存在」になってしまうわけですね。しかし天皇家と将軍家で「別の王国を形成していた」と仮定してみるならば、「天皇王国」のレグナントが天皇で、将軍は「足利王国」のレグナントで、その上に「上位国家」の「日本国」があって、そのレグナントが天皇、リージェントが将軍となりえます。外国との関係では「リージェントの将軍が全権を持つ」けども、天皇は「自らの王国」の内政では、飾りものにされていることもなくて、自らの主権を行使できる「君主」になりますね?

○これでもまだ「仕組みが単純すぎる」んですが、ともかく今は「二つの王国が存在した」と考えてみます。「天皇王国」のリューテナントは太政大臣で、その政治行為をレグナントの天皇が「承認する」のですから、「天皇王国の領土の統治」に「将軍は関係ない」と仮定しましょう。だとしても、将軍による「足利王国の統治」が揺らいでしまうと、同時に「天皇王国の統治」も揺らぐわけじゃないですか。たとえば「信長の領地」なら、尾張、美濃、近江という「固定した領域」なので、自分の領地を「武力で掌握しておく」ことも容易ですが、「天皇家や公家の荘園領地」は西日本に広く分布しているんです。室町幕府の統治がきかなくなれば、各地の荘園が地元勢力に横領されて、収入がなくなるんです。しかも「天皇王国」には独自の武力がないわけで、だからこそ上位国家「日本国」のリージェントである将軍に、「武家の棟梁」としての責務があるんじゃないの?

●永禄十三年正月二十三日「信長の条書/日乗上人・明智十兵衛宛」五
「一、天下御静謐之条、禁中之儀、毎事不可御油断之事」

○信長の「五箇条の条書」の五です。「ご油断あるべからず」とあって、その前に「禁中のこと」とありますので、さながら「朝廷に対して油断なさってはいけません」の意味で、義昭に「朝廷を警戒しなさい」と忠告しているかのようですが、「油断」の言葉は、もっと広い意味で使われます。この場合は「天下静謐のことも、朝廷のことも、常に真剣に考えてください」の意味です。なにしろ信長は、この前年に「横領されている公家の領地」について調査を命じているんです。

○「岡殿」という公家がいました。『言継卿記』の筆者「山科言継」とは、昔から親交のある人物です。永禄十二年四月二日条に「織田信長為使木下藤吉郎、岡殿へ参之間、予参」とあります。「信長の使いで木下藤吉郎が来るから、同席してほしい」と岡殿に頼まれたんですね。木下の用事とは、丹波国にある岡殿の領地の件。内藤という者が横領して、返さないんです。そこで木下が「代官に任命されたら、所領主の取り分を支払うか?」と尋ねたところ、内藤は「それなら文句はない」と答えたので、「毎年八十石を納入すると決めてきましたが、それで御異存はございませんか?」という話だったわけ。もちろん岡殿は大喜び。当時の「木下藤吉郎」ごとき身分の者に、公家が直接に顔を合わせることはないのですが、あまりの嬉しさからか、御簾(みす)をスルスルっと上げて「藤吉郎よ、でかした。盃をとらすぞ」ってほど。原文は「藤吉郎御対面、御盃被下了」です。

○これが「天下静謐」の意義であるはずだし、「条書の五」が示す意味のはずなんです。横領している領地を、内藤から、織田軍の武力で吐き出させるのは簡単でしょうけども、それでは「敵が増える」だけなんですよ。内藤にしても「本来の領主の取り分を払うと、自分の取り分が減る」とは考えないわけね。「公式に認められる」ことで、自分の収入や役得はあるんですから、そのほうが得をするんです。こうして「足利王国の統治」を再確立していくことが、同時に「天皇王国の統治」を守ることで、それこそ「天下統一の意味」じゃないんですか?
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