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2020年01月11日22:36

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週プロ流智美あの日あの時予想2019年総括(2)

第68戦 1月16日発売号●【予想】藤原喜明、スーパー・タイガーの右腕を折る(85年UWF大阪臨海スポーツセンター)【正解】BI砲の折り返し地点、馬場&猪木組vsボボ・ブラジル&オレイ・アンダーソン組(70年日本プロレス後楽園ホール)【参考】2013年1月16日発売号はスーパー・ベイダーvsゲーリー・オブライトプロレスリング世界ヘビー級選手権試合。(95年UWFインター日本武道館)

【解説】新日本プロレス、全日本プロレスに次ぐ「第3団体」として84年4月11日、大宮スケートセンターで旗揚げ。当初は猪木が民放での2局放映を目論み、受け皿団体として始動しました。

前田日明、ラッシャー木村、剛竜馬、グラン浜田、マッハ隼人の日本人メンバーが集結し、新日本プロレス所属だった高田伸彦が旗揚げシリーズに参戦。また、「テロリスト」としてブレークを果たした藤原喜明が最終戦の4月17日、蔵前国技館大会のみ参戦、前田と一騎討ちを行い、両者フェンスアウトで再試合の末、両者KOで引き分け。

UWF顧問である新間寿は単独での団体継続は困難と思料、選手を新日本プロレスヘ戻すべく画策しましたが、前田以下所属選手と浦田昇社長がこれに反対。5月21日、新間は「俺も後から(UWFに)行く」と言っていた猪木を連れて来られなかった責任を取って退陣を表明しました。

7月23、24日に後楽園ホールで行われた「無限大記念日」で新たなスタートを切ったUWFは元タイガーマスクのザ・タイガー、新日本プロレスから藤原、高田が移籍。さらに新日本プロレスを2月に退団しタイガージムでインストラクターをしていた山崎一夫も参戦。新日本プロレスのカラーが強くなりました。

8月29日、高崎市体育館で開幕した「ビクトリー・ウィークス」から新日本のストロングスタイルの象徴であるカール・ゴッチが最高顧問に就任。格闘色の強いプロレスを全面に押し出し、9月7日、後楽園ホールではザ・タイガー改めスーパー・タイガーが藤原を破り、9月11日、後楽園ホールではSタイガーは前田を降しています。またこの日、新日本プロレス旗揚げメンバーだった木戸修がUWFに移籍。

10月5日、後楽園ホールでの「ストロング・ウィークス」開幕戦ではR木村、剛が「プロレスに対する考え方の違い」を理由に退団しました。

12月5日、後楽園ホールではSタイガーと藤原がノーフォールマッチで対戦、壮絶な闘いの末、27分19秒、顔面、頭部、足へのキックの連発でSタイガーがKO勝ちを収めています。

年が明けて85年、2年目を迎えたUWFはより「完全実力主義」を全面に打ち出し、1月7日、後楽園ホールで開幕した「サンライズ・ウィークス」からSタイガー、前田、藤原、木戸、高田、山崎、M隼人、さらにR木村、剛の退団によりレフェリー兼任で試合も出ることになった空中正三(ミスター空中)の所属選手による「格闘技ロード公式リーグ戦」がスタートしました。

1月16日、大阪・臨海スポーツセンターでSタイガーと藤原が公式戦で激突。シングルでは前述したようにSタイガーの2戦2勝ですが、84年10月5日と11月15日の後楽園ホールではSタイガー&前田組vs藤原&木戸組というタッグマッチが組まれ、藤原が2回連続してSタイガーからチキンウィング・フェイスロック、三角絞めでギブアップ勝ちを奪っており、81年4月に新日本プロレスでタイガーマスクに変身後、初の一本負けを藤原に献上したことになり、五分五分。

試合は藤原がSタイガーをチキンウィング・アームロックに捕らえました。Sタイガーはギブアップしない。さらに藤原が力を入れて絞ると「ボキッ!」という音が…22分40秒、レフェリーが試合をストップし藤原の激勝。

Sタイガーは当初は「骨折か?」とも言われましたが右肘亜脱臼との診断が下りました。Sタイガーは無理を押してシリーズ最終戦の1月20日、後楽園ホール大会に強行出場。高田と公式戦で対戦しましたが、思うように動けずレフェリーストップ負け。藤原は「友達を傷つけてしまった」とリング上で男泣きしました。

「完全実力主義」のUWFのリングでは負傷していれば格下の高田にSタイガーが敗れることもある、ということをファンに知らしめ、本物志向をアピールしています。後にこの時のSタイガーの負傷はギミックであったという証言もあります。

一昨年暮れから昨年にかけて、日テレジータスにおいて日本プロレスの試合が放送されましたが、その中でも注目だったのが馬場&猪木、BI砲の映像でした。

BI砲は猪木が崩壊した東京プロレスから、67年4月に日本プロレスに復帰した時からスタート、同年5月5日、鳥取市民体育館で初結成され、ダン・ミラー&マイク・デビアス(テッドの父親)組にストレート勝ち。

10月31日、大阪府立体育会館でビル・ワット&ターザン・タイラー組を破ってインターナショナル・タッグ王座を獲得、その後、69年1月にウィルバー・スナイダー&ダニー・ホッジ組、同年8月にディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組に敗れ王座転落しましたが、すぐに奪回。

71年12月7日、札幌中島スポーツセンターでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスに敗れベルトを失った直後、猪木は尿管結石を理由に代々木の小林外科病院に入院、その後の試合をキャンセルしました。そして12月13日、会社乗っ取りを企てたクーデター犯として日本プロレスを除名、追放処分となった訳です。

BI砲がインターナショナル・タッグ王者であった期間は通算4年2か月に満たず、全日本プロレスの馬場&鶴田組の通算9年3か月の半分以下しかありませんが、日本プロレス史上最強のタッグチームとしてファンの記憶に残っております。

BI砲の王者チームとしての活動期間で言えば70年1月というのは厳密には折り返し地点とは言えない部分もありますが、前69年7月にNETが日本プロレスの中継に参入し、プロレスブームが起きており、その延長線上で無風状態の安定期と言えました。

1月16日は日本プロレスは「新春チャンピオン・シリーズ」後楽園ホール大会。メインイベントは馬場&猪木組はボボ・ブラジル&オレイ・アンダーソン組と対戦。1本目は14分45秒、日本組の反則勝ち。2本目は5分21秒、馬場がオレイを片エビ固めに決めて2ー0でBI砲のストレート勝ちとなっています。試合そのものは特別エポックメイキングではありませんでした。

※対戦成績は68戦16勝52敗。
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