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2019年07月15日09:00

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希望の習近平(その4)

希望の習近平(その4)
新たに習近平に期待するもの
4、中国伝統文化(その1)
林望は、その著書「習近平の中国」(2017年5月、岩波新書)の中で、中国文化について、次のように述べている。すなわち、
『 中国が歴史的に見て偉大な文明国家であり、多くの文化や価値観を生み出してきたのは間違いない。王岐山はフランシス・フクヤマらとの会談で「中国文化の中には優秀なDNAがある」と述べ、その歴史と自負を語った。しかし、中国文明の遺伝子は、様々な文化や民族が混じり合い、諸子百家と言われた思想家たちがそれぞれの主張を競ったような社会の多様性と寛容さの中で育まれたのではないか。』

私もそう思う。 中国の長い歴史の中で「諸子百家」という言葉がある。諸子百家(しょしひゃっか)とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者・学派の総称である。「諸子」は孔子、老子、荘子、墨子、孟子、荀子などの人物を指す。「百家」は儒家、道家、墨家、名家、法家などの学派に属する多くの人々のことである。
春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代のことである。その時代に活躍した諸子百家、そのような多くの学者が政治に関与した、そういう歴史は世界の歴史でも珍しく、中国伝統文化の一つと考えられる。しかし、そういう中国伝統文化は、 いわゆる諸子百家の時代に花咲いたとはいえ、その下地はもっと古い時代にある。政治に大きな影響を与えた思想家が少なからずいたのである。その代表が晏嬰(あんえい)である。
晏 嬰( 紀元前500年頃の政治家)は、中国春秋時代の斉の政治家。学派を形成したわけではなかったので、諸子百家には入らないが、当時の王朝の中でもっとも偉大な思想家である。中国春秋時代には多くの学者が王朝の政治に大きな役割を果たすが、その源流に晏嬰がいるのである。
晏嬰の時代から、150年〜200年ほど後になるが、紀元前4世紀(紀元前400年から紀元前301年まで)田斉の盛時をもたらした威王や宣王は、各地から多くの学者を集めた。彼らは日々論争し、人々はこれを百家争鳴と呼んだ。稷下の学士 (しょくかのがくし) は、直接斉の政治に関与する人々ではなかったが、卿につぐ次官級の俸禄を与えられて優遇された。人数は、数百人から千人ともいわれている。おそらく彼らは斉の政府が政治を行う上での案を採る対象として招かれた、もしくは集まった人々であると思われる。

中国の伝統文化として忘れてならない一つに道教文化がある。 晏嬰が面白いと同じように、道教も面白い。こだわりがないからだ。日本の宗教は神仏習合の歴史を持っているが、道教は、老子の教えを基軸に、老子の教えと孔子の教えと仙人の教えという三つの教えが習合しながら発達してきたものである。

以上は、道教文化について勉強するとともに、 天命政治の成功のために今後何が必要かを私なりに考えてみた論文の要旨である。諸子百家や晏嬰のことなど詳しくは、その論文「中国伝来文化を考える旅」をご覧いただきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/tyuuden.pdf





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