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2018年12月31日06:04

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炉の聖性

炉の聖性
縄文時代の住居には、炉とその隅に石棒が立てかけられている事例が少なくない。そういうところでは、家のなかで毎日のように、天の神や地の神への「祈り」が捧げられたのである。私たちの多くの家で、仏壇や神棚でお祈りがなされるのとまあ同じようなことだ。ロウソクやお灯明は聖なる火である。その聖なる火については、小林達雄がその著「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)の中で次のように言っている。すなわち、
『 縄文住居の炉は、灯かりとりでも、暖房用で、調理用でもなかったのだ。それでも、執拗に炉の火を消さずに守りつづけたのは、そうした現実的日常的効果とは別の役割があったと見なくてはならない。火に物理的効果や利便性を期待したのではなく、実は火を焚くこと、火を燃やしつづけること、火を消さずに守り抜くこと、とにかく炉の火それ自体にこそ目的があったのではなかったか。』・・・と言っており、火に対する象徴的観念の重要性について述べている。そして、火の象徴的聖性は、今日の私たちの生活においてもいろいろな場面に認められることを述べ、その原点は、結局、縄文住居の炉にあるのではないかと言っている。私もまったくそう思う。
 そして、縄文住居の炉は、女性の「ホト」でもあり、女性の象徴的聖性を表わしていると考えている。地球の母の象徴的聖性、地の神の象徴的聖性と言っても良い。
1月16日は「囲炉裏の日」。「い(1)い(1)炉(6)」の語呂合わせから、囲炉裏を囲んで暖かい会話を楽しむことを目的として、囲炉裏の愛好家らが制定したとされています。全国に囲炉裏の愛好家が少なくないようですので、大いに「囲炉裏の良さ」を語ってもらいたいものです。そうすれば囲炉裏を楽しむ人が増え、地域に「神とのインターフェース」が増えるように私は思います。
そうすれば「柱の聖性」のところで述べたように、その地域に対する「神の働きかけ」が深まり、その地域の人々の幸せが増えるであろう。きっとその地域にやってきて、田舎暮らしをする人も増えるに違いない。囲炉裏を増やすことは田舎の地域再生の一つの手段になりうると思います。

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