お水取りの不思議
白洲正子は、「かくれ里」(1991年4月、講談社)の中で『そう言えば、二月堂のお水取りの水は、若狭に通じているというが、その「若狭井」の元は遠敷郡(おにゅうぐん)にあり、花背原地町や広河原能見町からあまり遠くない。若狭から大和へ行くにのには、花背を越えるのが一番の近道なのである。お水取りの行事は、若狭に始まり、愛宕を越えて奈良に移っていった、長い歴史を暗示していると思うが、それはある時代の豪族の移動を物語っているのかもしれない。そういう事実がなかったら、東大寺二月堂の「若狭井」の伝説は、あまりに突拍子もない話で、伝説がそう架空なことででっち上げる筈はないのである。各部落で行われたという火祭りは、その道順を示しているのではあるまいか。鞍馬の火祭りも、京都の大文字も、もしかするとそういう人たちが落としていった火種かもしれない。』と言っている。これらのことについては、私の論文「火祭り考」がある。
二月堂のお水取り:
https://www.youtube.com/watch?v=5aIoGxegnNA
火祭り考:
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/himaturi.pdf
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