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2018年07月09日07:33

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林業のあり方(その9)

日本林業のあり方(その9)
第2章 日本林業の大転換を(その4)
第4節 科学としての林業であるべき



長伐期は、森林の経済性や多面的機能、木材利用等あらゆる観点から、これから日本林業の方向性を示しているが、森づくりを考える場合、本来なら、これらを裏づける科学的データが必要である。


森づくりでもっとも基本となる指標は、森林の成長曲線である。どのような伐期が収穫量を極大化するのか、これを決定するためには、樹種別、地域別、地力別でのデータが本来必要となる。
現状では、高齢級に至るまでの林分が連続してあるわけではなく、断続的にしかデータが揃わない。このため今あるデータをつなげて成長曲線の仮説を立て、あとは時代とともに揃ってくるデータを加えて「ミッシングリング」を埋めていく作業となろう。

また、成長曲線と並んで、森林の成長量も林業の基本中の基本となるデータのはずである。しかし、これも日本では森林簿で機械的に計算されるだけで、実態を把握したものにはなっていない。

さらに、森林の多面的機能を引き出すには、どのような森づくりが望ましいのか、そのためにはどのような施業をしていけばいいのか、科学的な指標が不可欠である。現状ではこうした科学的考察なしに、単に個別の予算が付けられ、針広混交林化が進められたりする。
また、手入れ不足の森林が多い中、長伐期型にもっていくためには、林分の状況によって間伐方法が異なってくるはずである。たとえば、枝が枯れ上がって樹冠長率が2割を切る林分も珍しくなくなっている。そうした林分で間伐をやりすぎると、風雨で倒れたりしかねないから、段階的に間伐を行うなど、リハビリ的な施業を行う必要があるだろう。要は、林分に応じた間伐方法を決めていかなければならないということである。

また、もはや手遅れとなった林分が存在するのであれば、その識別方法や対処方法などを明らかにする必要がある。


科学的なデータ作りは本来、科学としての林業を行う最低限のベースとなるもので、研究者の役割のはずである。独立行政法人である森林綜合研究所や各県にある林業試験場、大学など、日本の研究者の数は他の先進国と比べてもまったく遜色ない。投入される予算も相当な規模にのぼるはずである。しかし日本の研究者が果たしてどれだけ日本の森林・林業に貢献しているかというコオtになると、疑問と言わざるを得ない。
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