リズム論(その18)
第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その10)
第2節 中村雄二郎のリズム論におけるリズムとは?(その4)
3、「祈り」は「リズム」である
私の電子書籍「祈りの科学シリーズその1」は、「100匹目の猿現象」から始まって、私の論考は最終章(第13章)の「内なる神」まで進んでいくのだが、私の結論は、『「祈り」によって,「内なる神」が振動して「外なる神」と共振する。まさに、これはリズム現象である。「祈り」は「リズム」である。21世紀は,「祈りの時代」であり、また「リズムの時代」でなければならない。』という最終章の最後の言葉にある。
「内なる神」は、脳の中に存在する神で、中沢新一のいうスピリットがそうである。「モノ」には心、つまり 魂の「タマ」、それにはスピリットの作用が働いているのであり、そのお陰で「内なる神」が振動するのであり、「内なる神」と「外なる神」との響き合いが起るのだ。
第4章で説明した通り、多くの可能性の中から、祈りは祈りの振動だけを選択している
のである。神経細胞ネットワークは祈りの振動だけを選択し、それを他の神経細胞ネット
ワークに伝えていくのである。その結果祈りが身体にいい結果をもたらすのである。こ
のことは「内なる神」が祈りを聞き届けてくれたと考えざるを得ない。脳には「内なる
神」が存在するのである。
ところで共鳴(共振)というのは一体になることだから、祈りの共鳴(共振)の場
合,「内なる神」と「外なる神」と一体不可分な存在である。したがって、脳に「内なる
神」が存在するとすれば「外なる神」も存在するのである。
なお、誤解があるといけないので、念のために申し添えておくが、人間というものは
「内なる神」の存在する誠に不思議な動物だが、その秘密は「知恵の能」にある。
そしてその不思議な「知恵の能」をつくったのは、実は、「外なる神」である。「内
なる神」があって「外なる神」があるのではない。もともと「外なる神」がおわしますの
である。第11章で説明したとおり、「外なる神」のつくったその不思議な「知恵の能」は、私たち人間はまだ一割ぐらいしか使っていないらしい。ほとんどのものがこれからの発達を待っているという。
私は、第4章で、「この神経細胞のネットワークにある選択性が固定的なものではな
く柔軟性があるということは、誠に重要なことであるのでよく覚えておいてもらいた
い。」と申し上げたが、「知恵の能」は使い方次第であって、悪知恵を働かせてはならな
いし、ましてよほどのことでない限り「丑の刻参り」などをしてはならない。
「祈り」こそ大いに実践すべきである。私はこれからの時代は、「祈り」の時代である
と思う。
「祈り」によって、「内なる神」が振動して「外なる神」と共振する。まさに、これは
リズム現象である。「祈り」は「リズム」である。21世紀は、「祈りの時代」であり、
また「リズムの時代」でなければならない。
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