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2018年06月28日09:10

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リズム論(その15)

リズム論(その15)

第2章 中村雄二郎の「リズム論」 (その7)
第2節 中村雄二郎のリズム論におけるリズムとは?(その1)

1、はじめに

まずはじめに、「 中村雄二郎のリズム論におけるリズム」の定義をしておきたい。

河合隼雄の「アイデンティティー」という概念がある。脳の中にはその人の経験により無数の「アイデンティティー」が形成されていて、それらが固有の振動特性をもってピクピク振動しているというのだ。その固有振動を持ったアイデンティティーは、ある特定の刺激と当然共振する。つまりある特定の外界(環境世界)と共振する。という ことは、経験というものを媒介として、ある特定のアイデンティティに対応した環境世界がある。

そういう自己の中(脳の中)にあるアイデンティティーと共振を起こす波動を、私は「中村雄二郎のリズム論におけるリズム」と定義しておきたい。



以下において、私は「リズム」という言葉を使うが、それは一般的にいう単なる音楽的なリズムではなくて、哲学的なリズム、すなわち「 中村雄二郎のリズム論におけるリズム」のことである。そのリズムの働きは、誠に奥深く宇宙的でなかなか理解困難であるが、まず最初に奥深く宇宙的であることの説明として、西田幾多郎の純粋経験についてお話ししておきたい。

人は、生れたばかりは誰でも無垢である。生来の感覚や知覚のみが働いている。生来の感覚や知覚が働いているが、まだ経験はないし理解力はないので、 生れたばかりの人間は自己を理解することもできないし、外界つまり環境世界を理解することもない。逆に、人は経験を積み重ねることによって、固有振動を 持ったアイデンティティーが増えながら自己というものが発達していき、自己を理解することも環境世界を理解することもできるようになるけれど、もはや本来 の自己を理解することも本来の世界も理解することはできない。その生来の感覚や知覚のみを働かそうとすれば、経験によって獲得された固有振動を持つアイデンティティーを振動させない・・・・、つまり雑念を取り 除いた・・・、例えば座禅をするとか滝に打たれるとかの・・・・特別の行為をしなければならない。そういう雑念を取り除いた特別の行為が・・・・西田幾多 郎の言うところの純粋経験である。純粋経験によってはじめて本来の自己や本来の世界というものを理解することができる。
純粋経験の諸様相については、次をご覧下さい。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nisida4.html

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