猪木の欧州世界選手権シリーズも連日、各地への移動と慣れない硬いマット、ラウンド制(試合は4分10ラウンド)、離れた相手に攻撃を加えてはいけないルール等の制約の中で連日の激闘を展開していきました。
第10戦は78年11月19日、スイス・バーゼル市セントヤゴ・スポーツホールにてジャック・デ・ラサルテーズに5回2分35秒に反則勝ち。
第11戦は同じ11月19日、オーストリアに飛び、レスリング、グレコローマンスタイルの強豪、ユーゲン・ウィスバーガーと初対戦、4回1分32秒に反則勝ち。
第12戦は西ドイツに戻り11月20日、ザルツブルッケン・ザーランドホールでジャック・デ・ラサルテーズに4回57秒、体固めでフォール勝ち。
第13戦は11月21日、西ドイツ・ルートフィフハーヘン・エバルトホールにて東京五輪アマレスドイツ代表の強豪中の強豪、ウィルフレッド・デートリッヒと2度目の対決。
デートリッヒは56年メルボルン五輪でグレコローマンで銀メダル、60年ローマ五輪ではフリースタイルで銅メダル、64年東京五輪ではフリースタイルで銅メダル、68年メキシコ五輪ではフリースタイルで銅メダルと、数々のメダルを獲得した真の強豪。
4回2分51秒に両者リングアウトの引き分け。
帯同していた新間寿マネージャーが「猪木がボロ雑巾のように投げられまくった試合」と表しています。
この欧州世界選手権シリーズはテレビ収録のあったフランクフルトとシュツットガルト以外は日本からは東京スポーツしか取材しておらず、プロレス誌、ゴングとも東スポが契約していたUPI通信からの写真を使っていますが、
実際にこの試合は猪木がデートリッヒにボロボロに投げられて負けた、という説もあります。
雑誌でデートリッヒが72年ミュンヘン五輪アマレス米国代表のクリス・テーラー(73年にプロレス転向、76年11月に全日本プロレスに一度だけ来日)の200kgの巨体を完璧なスープレックスで投げている写真を目の当たりにした私は「それもあるかも知れない」と納得致しました。もちろん「猪木の負け」というのは噂話の類いで公式記録ではありません。
第14戦は11月23日、オランダ・ロッテルダム・マホイ・スポーツアリーナでウィリエム・ルスカと4分10回時間切れ引き分け。
この日の大会はアントン・ヘーシンクが出場して猪木と異種格闘技戦で対戦することになっており、日本でもそのように報じられておりました。
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