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2017年06月19日11:01

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知られざる清水寺(その2)

知られざる清水寺(その2)

清水寺は「聖地」と「魔界」の交錯する「場所」である。

清水寺は法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をも
つ、京都では数少ない寺院の1つである。また、石山寺、長谷寺などと並び、日本でも有
数の観音霊場となっている。

778年、大和国興福寺の僧で子島寺で修行していた賢心(後に延鎮と改名)は、夢のお告
げで北へ向かい、山城国愛宕郡八坂郷の東山、今の清水寺の地である音羽山に至った。金
色の水流を見出した賢心がその源をたどっていくと、そこにはこの山に篭って滝行を行
い、千手観音を念じ続けている行叡居士(ぎょうえいこじ)という白衣の修行者がいた。
年齢200歳になるという行叡居士は賢心に「私はあなたが来るのを長年待っていた。自分
はこれから東国へ旅立つので、後を頼む」と言い残し、去っていった。行叡は観音の化身
であったと悟った賢心は、行叡が残していった霊木に千手観音像を刻み、行叡の旧庵に安
置した。これが清水寺の始まりであるという。

その2年後の780年、鹿を捕えようとして音羽山に入り込んだ坂上田村麻呂(758年 - 811年)は、修行中の賢心に出会った。田村麻呂は妻の高子の病気平癒のため、薬になる鹿の生き血を求めてこの山に来たのであるが、延鎮より殺生の罪を説かれ、観音に帰依して観音像を祀るために自邸を本堂として寄進したという。805年には太政官符により坂上田村麻呂が寺地を賜り、810年には嵯峨天皇の勅許を得て公認の寺院となり、「北観音寺」の寺号を賜ったとされる。『枕草子』は「さわがしきもの」の例として清水観音の縁日を挙げ、『源氏物語』「夕顔」の巻や『今昔物語集』にも清水観音への言及があるなど、平安時代中期には観音霊場として著名であったことがわかる。




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