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2017年03月29日08:14

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台湾(その6)

台湾(その6)

第1章 日台交流の歴史(大航海時代まで)

第2節 にゃんにゃん(その2)

以上の通り、海辺の民「蚤民族」(アタ族)が祀りすがった神が「にゃんにゃん」である。正式には「媽祖(まそ)」または「娘媽神女」で、別名「天后」「天妃」ともいう。この神は、海を放浪するアタ族のために、自ら海中に身を投げて航海の安全を祈ったという伝承を持ち、南は海南島からマカオ、台湾、日本に至るまで、広く祀られている。

日本の場合、この神の溺死体が漂着したとされているところが南さつま市の野間岬である。野間岳の中腹にある「野間神社」の由緒書きには「娘媽」の死体が野間岬に漂着したのでこれを野間岳に祀ったと記されている。


「娘媽」は「ノーマ」または「ニャンマ」と読む。 媽祖(まそ)すなわち「にゃんにゃん」は、まったく道教の歴史と関係がないのだが、アタ族や華僑にとっては正真正銘の道教の神なのである。


日本の媽祖廟としては横浜媽祖廟が有名であるが、媽祖は日本在来の船玉信仰や神火霊験譚と結び付くなどして、古来、各地で信仰されるようになった。
江戸時代以前に伝来・作成された媽祖像は、南薩摩地域を中心に現在30例以上確認されている。江戸時代前期に清より来日し、水戸藩二代藩主徳川光圀の知遇を得た東皐心越が伝えたとされる天妃神の像が、茨城県水戸市の祇園寺に祀られている。また、それを模したとされる像が、北茨城市天妃山の弟橘姫神社、大洗町の弟橘比売神社(天妃神社)、小美玉市の天聖寺にも祀られている。
青森県大間町の大間稲荷神社には、天妃媽祖大権現が祀られている。元禄9年に大間村の名主伊藤五左衛門が水戸藩から天妃(媽祖)を大間に遷座してから300周年を迎えた1996年(平成8年)以降、毎年海の日に「天妃祭」が行われている。この大間稲荷神社は台湾の媽祖信仰の総本山である雲林県の北港朝天宮と姉妹宮である。

2000年(平成12年)以降、長崎市の長崎ランタンフェスティバルにおいて、長崎ネットワーク市民の会の企画運営で「媽祖行列」が行われている。興福寺に媽祖をお迎えすることで祭りが始まる。

また、沖縄県八重瀬町港川にあるうたき、唐の船うたき(とうのふにうたき)は、かつてその地に難破した中国の貿易船の船員が建てた祠であり、媽祖が祀られている。









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