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2017年03月12日08:00

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地蔵信仰(その9)

地蔵信仰(その9)

第3章 峠などに祀られているお地蔵(その3)

六道に迷った衆生を救う地蔵菩薩(代受苦地蔵)については、第2章で述べた。

代受苦地蔵 とは、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救って欲しいという切なる願いだけでなく、生きている人間にももし重苦があれば、それを救ってくれる、そういうお地蔵さんである。そういうお地蔵さんが疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを未然に防ぐことができるのだろか? それが私の抱く疑問である。

勝軍地蔵というのがある。地蔵菩薩が身に甲冑(かつちゆう)を着け,右手に錫杖(しやくじよう)を持ち,左の掌(てのひら)に如意宝珠を載せ,軍馬にまたがった姿をしたものであるが、そういう悪と戦う威力を持った地蔵菩薩であれば、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを未然に防ぐことができるだろうけれど、村はずれの峠などに祀られている「笠地蔵」のように、あの優しげなお地蔵さんがそういう戦う威力を発揮されるとは到底思えない。しかし、人々は、あの優しげなお地蔵さんでも、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを未然に防ぐことができると考えて、実際に、村はずれの峠、村境、道の分岐点、橋のたもとなどにあの優しげなお地蔵さんを祀った。その点、どう考えればいいのであろうか?

賽の河原で獄卒に責められる子供を地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」(http://blogs.yahoo.co.jp/uuatanabetakahiko/28829673.html)を通じて広く知られるようになり、庶民感覚に大変化が起こったのではなかろうか。すなわち、私は、いつの頃かはっきりしないが、中世、つまり平安時代の末期ないし室町時代において、お地蔵さんというは、地獄であろうが村外であろうが異界と自由に行き来して、閻魔大王であろうが悪神・悪霊であろうが山賊であろうが、村に疫病・災害などをもたらさないよう説得してくれると、人々は考えるようになったのではなかろうか。つまり、平安時代の末期ないし室町時代において、お地蔵さんは、第2章で述べた 代受苦地蔵 という本来の姿から、より積極的に人々の災いを未然に防ぐ姿へと、進化を遂げられたのであろう。村はずれの峠、村境、道の分岐点、橋のたもとなどに祀られている「笠地蔵」のようなお地蔵さんこそ、庶民誰もが親しみの持てるかつ頼りになるお地蔵さんである。
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