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2016年05月28日11:02

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山地拠点都市構想(その154)

山地拠点都市構想(その154)

第6章 山地拠点都市構想の実現に向けて(30)
第5節 山の国民運動(1)

日本人は、縄文時代はいうに及ばず、旧石器時代の太古の昔から山とは切っても切れない 関係の中で生きてきました。そして山によって生かされてきた。かかる認識から、日本の 山を良くするための国民運動はすでに始まっている。これからもますます盛んになってい くかと思う。私もその旗を振っていきたい。山を愛し、山の重要性を十分認識しているか らだ。 私はこの本で、「山地拠点都市構想」を打ち出しているが、それを実現するためにも、山の国民運動の高まりが不可欠である。しかし、山の国民運動というものは、それとは切り離して行うべきものである。また、事実、それぞれの団体がそれぞれの思いを持って活動を開始している。それが大事である。まずは山の国民運動が高まりを見せること。それを支えに、いくつかの市町村で「山地拠点都市構想」の理解者が出てくればありがたい。
では、そう願いながら、ここでは「山の国民運動」について、私の注目しているものを紹介し、さらにそれらの動きを加速し、より強力なものにするかを考えてみたい。


1、「緑の列島ネットワーク」

今は、「緑の列島ネットワーク」というNPO法人もできて、山の再生を図る時がやっと きたようだ。では、このこのNPO法人の進める「近くの山の木で家をつくる運動」の 「千人宣言(原文)」を紹介しておこう。

『 最北端の宗谷岬から南の八重山諸島まで、延々三千キロにわたって弓状に連なる日本 列島は、その国土の三分の二が、森林によって覆われています。海岸線の町、盆地の町、 どの町を流れる川も溯(さかのぼ)ってゆけば、緑の山々にたどりつきます。山は川の源 です。海は川の到達点です。この山と川と海が織りなす自然こそ、私たちの生命の在りか であり、暮らしの基盤といえましょう。 いま、この緑の列島に異変が起きています。破壊的ともいえる、山の荒廃です。 何が起きているのか? 現実に立ってみることにします。つい最近、スギの山元立木(や まもとりゅうぼく)価格※が一九六〇年(四十年前)の価格程度に戻ったというニュース がありました。 四十年前といえば、あんぱん一個の値段は十円、映画館の入場料は百十五円でした。物価 も収入も上昇したというのに、スギの値段だけは、四十年前の水準に戻ってしまいまし た。木が育つには、何十年も、何代にもわたる人の手がかかっています。ことに人工林 は、雑草木を刈り、つるを切り、枝を打ち、間伐を行う、といった細かな作業を必要とし ており、これを怠ると、木の生長が抑えられるというだけでなく、環境に大きな影響をも たらします。
町がスギ花粉に見舞われるのも、鉄砲水が続出するのも、山に手入れが行き届かないか ら、といわれています。古くから、治山は治水、といわれてきました。豊かな平野は、後 背(こうはい)の山あってのことです。川や海の魚がおいしいのは、山が豊かなればこそ です。木は再生可能な資源であり、地球温暖化防止に重要なCO2吸収の主役でもありま す。
それなのに、山の暮らしは成り立たず、山から人の姿が消えかかっているのです。 私たちの祖先は、ごく自然に木という素材を選び、鋸(のこぎり)、 鉋(かんな)、 鑿 (のみ)などの道具を用いて家を建ててきました。そこには人がいました。山を守り、木 を育てる人。木を伐り、製材し、運ぶ人。材を加工し、家に組立てる人。いま、山から人 は失われ、職人の腕は低下したと嘆かれ、柱のキズで背比べする姿は消えたかにみえま す。 山の荒廃をストップさせ、木の文化を蘇(よみがえ)らせるには、何を、どうしたらいい のでしょうか? まず我々は、連鎖する自然と地域の営みの中に生きて在ることを知りたい。次に我々は、 近くの山の木で家をつくる、という考え方を取り戻したい。山と町、川上と川下、生産者 と消費者が面と向き合って話し込めば、お互いの置かれた現実がよくみえてきます。山に 足を運び、荒れた山の現場に立ち、手入れの行き届いた山をみれば、みずみずしい緑を、 協働のちからで取り戻そう、という気持が涌いてきます。悩ましいお金の問題も、寄り 合って吟味を重ねると、建築費の中で木材費の占める割合が、思われているほど高いもの ではなく、決して高嶺の花でないことも分かってきます。木は乾燥が大事なこと、土や紙 や竹などの自然素材も地域に身近にあることを知ったり、木は建築後も生きて呼吸してい ることや、木の家は補修すれば寿命が長くなることなど、大切なことがいろいろとみえて きます。これらの価値を、皆で結び合い共有すること、それが、近くの山の木で家をつく る運動の原動力です 。 』

現在山は荒れている。山の管理は、やや極端な言い方だが、流域の市町村の責任であ る。山が原因で災害がひどくなろうが、それは流域の責任である。山の管理に熱心な流域 は災害が少ないし、山の管理に熱心でない流域は災害がひどい。まあそういうものだ。上 述の通り、間伐材や不燃木材も実用段階に入ってきたようだし、さらに「近くの山の木で 家をつくる運動」という運動も始まった。市町村の奮起を促し、「やる気」を起こさせた いものだ。


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