79年1月5日、川崎市体育館で鶴田試練の十番勝負最終戦が行われ、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックとの一騎討ち。
1本目はエリックがアイアンクローから体固め、2本目はエリックがロープエスケープした鶴田にアイアンクローをかけ続け反則負け。
この時セコンドにいた大仁田厚がリング内のエリックにアイアンクローをかけられ、額を掴まれたままリング内に引き吊り上げられています。
3本目はアイアンクローをかわした鶴田がジャンプしてのボディプレスでエリックを片エビ固めに決めて2-1で勝利。76年3月10日、日大講堂でのバーン・ガニアとの第1戦から2年10か月、有終の美を飾りました。成績は4勝2敗4分で2敗はいずれもNWA世界王座挑戦でした。
十番勝負は前年78年は1回も組まれておらず、第9戦の大木金太郎戦(UN、アジアダブルタイトル戦)から1年半近く経っており、今更な感はありました。
「番勝負」の元祖であった全日本ですが、やはり中ダルミや対戦相手不足になりがちです。ザ・デストロイヤーの覆面十番勝負も同様でしょう。
しかし一度出した企画は最後までやり遂げることはやはり大事で、新日本が藤波辰巳の飛龍十番勝負を7戦で未完のまま終わらせてしまったのはまずかったと思います。
このシリーズ、ブルーザー・ブロディが初来日、鶴田との初シングル対決は1月20日、三島市民体育館(テレビ生中継)で実現し僅か6分33秒で両者リングアウト。
シリーズ最終戦1月29日、大阪府立体育会館ではキム・ドクが前年9月13日、愛知県体育館に次いで鶴田のUNヘビー級王座に再び挑戦しています。
試合は1-1からまたも60分時間切れ引き分け。鶴田と2度に亘ってフルタイムドロー試合を行ったことでドクに対する評価は上がり、馬場は韓国師弟コンビを解体させる方向に出ます。
2月10日イリノイ州シカゴ・インターナショナルアンフィシアターのAWAの興行に馬場、鶴田と2度目のアメリカ修行に出ていた天龍が参戦。
馬場はアブドーラ・ザ・ブッチャーのPWFヘビー級王座に挑戦。1-1から出血多量となったブッチャーがセカンドロープとサードロープの間からリング下に転落しリングアウト負け。馬場が前年6月にキラー・トーア・カマタに反則負けで王座転落して以来8か月ぶりに王座返り咲き。
鶴田、天龍組はロジャー・カービー、ガイ・ミッチエル組を破っています。
2月14日、ハワイ・ホノルル・ニールブレイスデル・センター(旧ホノルル・インターナショナルシアター)で鶴田はニック・ボックウィンクルのAWA世界ヘビー級王座に挑戦。
1本目はニックが足4の字固め。2本目は鶴田がコブラツイストで取り返し3本目、リング中央でニックを再びコブラに捕らえた鶴田はグイグイ絞め上げました。
ギブアップかどうかを確認に近づいて来たレフェリーにニックはパンチを浴びせて反則負けとなり2-1で鶴田が勝ちましたがルールによりベルト移動はなし。
この時はAWAでは馴染みのなかった馬場vsブッチャーをシカゴで開催し、PWF会長を勤めるロード・ブレアースとエド・フランシスが主宰していた言わば馬場の準地元のハワイの興行にニックが参戦、というたすき掛けのバーター形式が取られました。
鶴田は当時AWAでは知られておらず、シカゴではゲスト扱いとなりました。
この後も続くかと思われた全日本とAWAですが、この年の10月にはニックが国際のリングに上がり、オーナーだったガニアも11月に国際に来日しており、一旦は疎遠になりました。
3月3日、横浜文化体育館で開幕した第7回チャンピオン・カーニバルでは鶴田は2年ぶりに決勝進出。
4月6日、秋田市立体育館でブッチャーと優勝決定戦で対戦。1度は両者リングアウトとなるも再試合となり、トップロープからの攻撃をブッチャーに下からの地獄突きで撃墜されジャンピング・エルボードロップにフォール負け。
ブッチャーは76年の第4回大会以来2度目の優勝を果たしました。
この秋田大会の放送分(翌4月7日放送)から日本テレビの全日本プロレス中継は72年10月の放送開始時から6年半続いた毎週土曜日午後8時の時間帯から撤退し、毎週土曜日午後5時30分から(関東地区)に移行を余儀なくされています。
土曜日午後8時は裏番組にTBSの人気番組「8時だヨ!全員集合」があり、さらに75年からはフジテレビが萩本欽一ショー「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の放送を90分枠で開始。
4月〜9月の野球シーズンには巨人戦の中継から放送時間が午後11時45分開始になることもあり、視聴率は10%台前後にて苦戦を強いられた上でのゴールデンタイム撤退でした。
やはり、スポンサーの横断幕のないリングを見るのは寂しかったです。
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