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2015年04月03日11:40

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安房一の宮について

安房一の宮について

日本の歴史の中で平安時代がいちばん平和な時代であったと言われている。平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか? 当時、ちょうど平安遷都1200年ということもあって、私は, 平安時代のどこに平和の原理が隠されているのか・・・ そんな疑問を持ちながら,「怨霊,妖怪,天狗」の勉強をはじめた。平安時代というのは,怨霊のうごめく時代であった。多くの権力者が「呪い」におびえる時代であった。そういう時代がなぜ歴史上いちばん平和な時代になったのか? その秘密は,どうも御霊神社がそうであるように,「祈り」にあるようだと気がつきながら,私は、これから私の哲学の勉強をどう進めていけば良いのか,はたと困ってしまった。そのような折に、 中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)の勉強をしながら、「劇場国家にっぽん」のおいて、「和のスピリット」というページを作ったのであった。

しかし、その後、洲埼神社を訪れたことがひとつのきっかけになって、ホト神様に関していろいろと考え、現地にも出かけていって、 「花園神社」「宝登山神社」のページを書き上げたので、ここに紹介しておく。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hanazono.pdf

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hodosan.pdf



人びとがホト神様に祈れば、どういう御利益があるか? 人びとがホト神様に祈れば、 人びとは本当に豊かな人生が送れるのか? ホト神様は、国というものがなかった時代から、宗教というものがなかった時代から、限られた特定の人たちかもしれないが、それなりの人びとによって延々と祈られてきた。その場所が、現在、神社として存在していれば、ホト神様に対する祈りは、神に届きやすい。だから、「洲埼神社」「花園神社」「宝登山神社」は、強力な「バワースポット」になっているのである。また、桜井徳太郎 によれば、日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇するのが「ケガレ(褻・枯れ)」であり、「ケガレ」は「ハレ」の祭事を通じて回復する。だから、そういうところの祭にはせいぜい出かけて行って、祭りを楽しんでもらいたい。

安房一の宮・洲崎神社の「ミノコオドリ」は、1961年(昭和36年)に千葉県の無形民俗文化財に指定され、1973年(昭和48年)には国の無形民俗文化財に選ばれた素晴らしい祭りである。



一つの 令制国(りょうせいこく)に一の宮が二つあるのは珍しいが、安房の国以外にもない訳ではない。しかし、私は、安房の一の宮である安房神社と洲埼神社のを論ずることは、神社というものの生い立ちを理解する上できわめて大事だと思うので、「 安房にはなぜ二つの一の宮があるのか? そして、どちらの方がより古いのか?  」、そういったことを考えながら、私は、旧石器時代または縄文時代の信仰形態が現在の神社にどのように繋がってきているのかを明らかにしたいと考えた。

ご夫婦の神様を祀った神社は全国に安房しかない。何故か? 安房神社の他に洲崎神社を創建せざるを得ない特別の事情があったのではないかと思われるが、その事情とは何か?

「安房一の宮」という次に紹介する論文は、その事情を探ったものである。
http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/awaitinomiya.pdf



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