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2014年12月14日07:23

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山地拠点都市構想(その60)

山地拠点都市構想(その60)
第3章 知恵のある国家とは?
第2節 教育について
1、 一般論
(2)青少年に対する個人レッスン

古代ギリシャは戦士社会であった。しょっちゅう都市国家同士の戦争があったからである。したがって、国の自由と尊厳を守るためには、戦士を育成する必要があった。その結果先生の生徒に対するいわゆる「少年愛」というものが一般的に流布していたのである。
そういう古典的な意味の少年愛は、世界中のあらゆる社会で存在したと考えられる社会制度である。 日本では薩摩の兵児二才(へこにせ)が有名である。白州正子は、薩摩隼人の海軍軍人・樺山資紀伯爵の孫娘で、薩摩人に囲まれて育ったため幼い頃から「よか二才」とか「よか稚児」とかいう言葉をフツーに耳にしていたそうだ。なんといっても薩摩隼人は「男色の道では群を抜いていた」そうで、白州正子はその著「両性具有の美」の中で「彼ら武士の集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされなかった。武士として鍛えられ、教育されることは、男同士の契りを結ぶことでもあった」と書いている。

「少年愛」はとりわけ、都市国家であるギリシャのような戦士社会において顕著であり、年長の戦士と若い戦士のあいだを結びつける互いの信頼関係は、しばしば少年愛の関係において成立した。このような少年愛は、男性同士の結束と青少年の教育という目的と、いま一つに、現代的な表現では、青少年を指向する男性同性愛の目的や意味を持っていた。

教育とは、青少年を一人前の共同体の成員としての男性に育成するのが目的で、中世西欧や近代における市民教養としての教育とは意味が違っていた。少年愛としては、古代ギリシアの「少年愛」が著名であるが、これは当時の代表的なポリスであるアテナイでは、暗黙に認められた市民の義務であった。アテナイに比べ、より戦士社会として厳格な文化や制度を持っていたスパルタにおいては、少年愛は男性市民にとって法文化された義務であった。国民皆兵制のスパルタでは、男性市民は戦士であることを意味したのである。
私は先ほど、秀才教育というかエリート教育というようなマンツーマンの個人的なレッスンについて、「だいたい家元制度に乗っかったお稽古ごとやピアノやバイオリンなどの音楽教育、さらにはオリンピック選手を育てるようなスポーツ教育などはそうであろう。これらについても、その普及をもっと深く考えていく必要がある。」・・・と述べた。マンツーマンの個人的なレッスンの問題点は金がかかりすぎるということである。これを能力さえあれば国が援助するようにして、もっと門戸を広げる必要がある。なにせ奨学金というのがあるのだから・・・・。



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