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2025年04月26日07:17

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(13)

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00年2月25日FMW後楽園ホールでは前99年11月23日横浜アリーナで和解したH&ミスター雁之助組の保持するWEWタッグ王座に冬木弘道&NEO女子プロレスの井上京子組が挑戦、冬木がサムソンクラッチで雁之助をフォール、ベルト移動。

勝った冬木と京子は抱き合ってキス。これまで男女混合マッチは多数ありましたが、女子選手が男子のタイトルを奪ったのは初の快挙でした。(DDTのアイアンマン・ヘビーメタル王座は除外)

5月5日駒沢オリンピック公園屋内球技場でHはハヤブサに戻り田中将斗と一騎討ち。田中は前99年12月17日(現地時間)ペンシルバニア州フィラデルフィアでマイク・アッサム(ザ・グラジエーター)を破り日本人初のECW世界ヘビー級王者となり、ECWと契約。ECW代表としてFMWに逆上陸を果たしています。試合はHが新技「Hサンダー」からの体固めで田中を破っています。

01年3月5日後楽園ホール大会で黒田哲広vsザ・グレート・サスケによるネイキッドマン(敗者全裸マッチ)が負けたサスケはリング上で全裸にされましたがファンはおろかマスコミからも反発を受け、週刊プロレスは佐藤正行編集長の署名入りで「掲載拒否」をしています。

荒井昌一社長は自著「倒産!FMW」で「失笑すらおきない大顰蹙を買い、さらにネイキッドマンマッチに関しては事前に「敗者を全裸にする」と告知していたため、試合会場に私服警官が現れて呼び出しを受けた」と書いています。

8月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会で話題作りのためか荒井が率いる正規軍3人(ハヤブサ、黒田、バイオモンスターDNA)vs冬木軍(冬木、金村キンタロー、雁之助)によるFMW会社経営権強奪株式譲渡3大シングルマッチが行われて冬木軍が勝利して経営権を奪われる。

その流れを受けて「パワースプラッシュ」最終戦、10月22日FMW後楽園ホールではハヤブサはマンモス佐々木と「社長交代マッチ」としてシングルマッチで対戦、私は会場に行けなかった為、スカパーPPVでこの試合を録画して観ていました。

悲劇はこの日の終盤に起きました。ブファドーラを見せようとした際、勢いをつけてセカンドロープに両足で飛び込み、ロープの反動で高く舞い上がって後方宙返りをし、リングに倒れている選手をプレスする、ハヤブサにとっては難易度がそれほど高い技ではなかったはずでしたが…。

ハヤブサは額の部分からリング中央に突っ込み。「ゴンッ!」という鈍い音がしました。首が後ろに反り返った状態で落下した為、とてつもないダメージを受けたのは明らかでした。

ハヤブサは仰向けになったまま、ピクリとも動かない。リングサイドの荒井社長が「ハヤブサァーッ!、ハヤブサァーッ!」と絶叫しています。

ただごとではないと察知したレスラーや関係者十数人がリング上になだれ込みました。会場内にはファンの悲鳴が響き亘りました。それでもハヤブサには意識があり、周囲にマイクを要求すると「必ずリングに戻ってきます」とファンに宣言しました。

「ハヤブサコール」が起こる中、救急車で御茶ノ水駿河台の日本大学病院に搬送されました。マスコミは病院の入り口前で待機していたものの、みな悲壮な表情で口をつぐみました。「最悪の事態もあるかもしれない」と考えられたからです。

翌22日早朝になって荒井社長がマスコミの前に現れ、憔悴しきった表情で「命に別条はない。頸髄を損傷したと思われます。」とコメント。

ハヤブサほどの飛び技の達人であれば目測を誤るようなことはないでしょう。このタイミングで回転すれば相手をプレスして着地出来ると考えていたはず。

しかし、頭とは別に身体が動いてくれなかった、脳の指令通りに動くはずが動かなかった、ということなのではなかったでしょうか。

荒井社長は著者でこの時、シリーズの日程が異常ともいえるほどのハードスケジュールで当日にハヤブサは発熱していたと書いています。

「パワースプラッシュ」の日程を見てみましょう。ハヤブサ、雁之助凱旋シリーズということで九州からスタート、10月5日鹿児島県国分市屋内競技場、6日鹿児島県出水市総合体育館、7日がハヤブサ、雁之助の地元、熊本県八代市総合体育館、8日は九州からの移動日で東京に戻り、9日後楽園ホール。

すぐさま西ヘ出発し10日和歌山県白浜会館、11日和歌山県新宮市立総合体育館、12日愛知県豊橋市総合体育館サブアリーナ、13日大阪府立体育会館第二競技場、14日は関東に戻って千葉県四街道市中央公園グラウンド特設リング。

15、16日は試合なし。17日は愛知県名古屋市競輪場でのイベントプロレス、18日は移動日で新潟へ。19日新潟県上越市厚生南会館、20日移動日で21日が京都KBSホールで22日が最終戦後楽園ホール大会。

終盤は試合のない移動日もありますが試合を入れることが出来なかったのでしょう。前半の日程はかなりハードです。

プロレスの巡業日程は「コースを切る」と言われ、興行数を増やして収入を増やしていかなければならない反面、選手の身体の負担も考えて興行場所を決めていかなければならず、適度にオフ日を入れるのも営業の腕の見せどころでした。

FMWには全日本プロレスの営業部にいた高橋秀樹が営業部長におり、「コースを切る」ことに関してはプロ中のプロでした。大仁田厚引退ツアーの過密日程を上手く捌いていたものです。
 
大仁田引退後の新生FMWの社長候補でもあり、結果的に荒井社長になりましたが、高橋氏は営業部長として手腕を発揮していました。

高橋部長はFMWを退職し00年に設立されたディファ有明のスタッフとなった為、後任としてコースを切っていたのが冬木軍プロモーションの中村吉佐リングアナウンサー。中村氏はWARの営業をしていましたが高橋氏とはスキルが全然違いました。

業績が悪化していたFMWはなりふり構わず入れられるところに日程を詰め込み、経費削減の為にバスでのハネ立ち(ホテルに泊まらず、その日のうちに次の興行地へ移動すること)が常態化していました。

最終戦は前日の京都から東京へ泊まらず戻ってきての試合でハヤブサは体調を崩していたにも関わらず無理して試合に出場し事故が起きてしまったと言えます。

巡業中のハネ立ちの大変さ、宿泊がいかに大事かというのはこちらの長井満也のYoutubeでも触れていますので一度ご覧ください。

https://youtu.be/OT-xC6BmD3c?si=4nALbux4HpDVR9-Q
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