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2025年02月06日06:52

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(31)

第352戦、8月7日発売号●【予想】鉄人テーズ、59歳でカムバック、ルー・テーズvsエリック・ザ・レッド(75年ニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルトスタジアム)【正解】王者と挑戦者の双方が実力ピーク時点で激突する難しさ、UN選手権試合、猪木vsジャック・ブリスコ(71年8月5日愛知県体育館)

第97戦  8月7日発売号●【予想】輪島デビュー戦&馬場vsアースクェイク・フェリス&JRホッグ。(86年カンザス州カンザスシティ・メモリアル・ホール)【正解】最後のゴールデンタイム進出」を実現したライバル関係、「サマー・ドリームフェスティバル」後楽園大会(85年ジャパンプロレス後楽園ホール)97戦20勝77敗、勝率2013年8月7日発売号は94G1CLIMAX優勝決定戦、蝶野正洋vsパワー・ウォリアー(94年新日本プロレス両国国技館)

【予想解説】75年1月にアメリカ東部地区に設立された新団体IWAは前年業績不振から興行活動をクローズしたNWFのオーナーであったジョニー・パワーズとペドロ・マルチネスが、全米プロバスケットボールリーグ、WFLの放映権を持ち、全米3大ネットワークABCで放送し巨万の富を得ていた富豪エディ・アイホーンにスポンサード依頼をして旗揚げした団体でした。 

アイホーンもまた、バスケットボールリーグ、フットボールがオフシーズンの間のコンテンツとしてプロレスに魅力を感じており、利害が一致しました。

初代IWA世界ヘビー級王者は1月19日に王座決定戦でユーゴ・バビッチを破ったとされるミル・マスカラスが認定されました。ABCネットワークを通して徐々に全米に浸透していったIWAは7月10日、WWWFの本拠地であるニューヨークからハドソン川を挟んでほど近いところにあるニュージャージー州ジャージーシティのルーズベルト・スタジアムでビッグマッチを開催。

IWAはWWWFのトップヒールであり、「ブルーノ・サンマルチノを倒した男」、元WWWF世界ヘビー級王者、イワン・コロフの引き抜きに成功。ビンス・マクマホン・シニアにとってコロフを抜かれたことは大ダメージでした。

当日は22,000人の大観衆を集め、メインイベントはマスカラスのIWA世界ヘビー級王座にコロフが挑戦。1ー1から両者リングアウトで引き分けとなっています。

IWAはこの他、世界タッグ王者チームにジート&ボロのザ・モンゴルズ、ノースアメリカン王者にブルドッグ・ブラワーを認定、パワーズ、アーニー・ラッド、クルト・フォン・ヘス、ハートフォード&レジナルドのラブ・ブラザーズ、テキサス・マッケンジーら元NWFの残党が参戦していました。

東部進出第1戦を成功させたIWAは翌月の8月7日にも同所でマスカラスvsラッドのタイトル戦を組みましたが15,000人と前回程は集まらず。

この大会で鉄人テーズが59歳でカムバックを果たしました。今でこそ還暦過ぎの現役プロレスラーは珍しくないですが、半世紀前は40歳過ぎればロートルの部類に入り、「さすがテーズ」とファンを唸らせました。

テーズはエリック・ザ・アニマルとして74年2月に新日本プロレスに来日したE・ザ・レッドとシングルマッチ30分1本勝負で対戦、正面飛びのドロップキックの奇襲を見せましたが5分35秒、反則勝ちに終っています。

この大会にはロサンゼルスでハリウッド・ブロンドスとの激闘を終えた猪木が来場しテーズに来日をオファー。10月9日蔵前国技館での猪木vsテーズのNWF世界ヘビー級選手権試合が決定しています。

9月1日、同所でマスカラスvsラッドの再戦をメインに第3弾興行を開催しましたが、こちらが8,000人と惨敗。パワーズとマルチネスはアイホーンに追加資金の援助を申出しましたが謝絶され、IWAは1年足らずで崩壊しました。

ビンス・シニアはコロフを引き抜き返して興行戦争に勝利しましたが、このIWAの手法を後の84年に息子のビンスがビジネスモデルとして全米制圧に乗り出した訳です。

【正解解説】71年3月26日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでジョン・トロスを破りUN王座を獲得した猪木。5月31日札幌中島スポーツセンターでの初防衛戦の相手は当時既に53歳の老雄フレッド・ブラッシーで、反則含みの2−0のストレート勝ちを収めていますが、力道山とWWA世界ヘビー級王座を賭けて争い(62年3〜7月)、馬場のインターに挑戦して敗れた(69年7月3日)「お古」のブラッシーでは満足いく防衛とはいきませんでした。

2度目の防衛戦の相手として現れたのが次期NWA世界ヘビー級王者の最有力候補だった「南部の麒麟児」ブリスコ。初来日は67年11月の日本プロレス「ウィンター・シリーズ」でしたが、アマレスNCAA優勝の実績を持ち、フロリダのプロモーター、エディ・グラハムの秘蔵っ子として早くから将来を嘱望されていました。

帰国後はフロリダ地区でプッシュされて頭角を現しNWAフロリダ・ヘビー級王者として活躍、ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に何度も挑戦しあと一歩のところまで追い込んでいます。

2度目の来日となったこの日、ブリスコは猪木のUN王座に挑戦。猪木が28歳、ブリスコが30歳という肉体的にはお互いに全盛期にありました。

1本目は21分2秒、ブリスコが猪木のコブラツイストを体勢を入れ換えて河津落としを決めて体固め、2本目は7分6秒、猪木が必殺のジャーマン・スープレックスホールド。決勝の3本目は1分37秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)でギブアップ勝ちし、2度目のタイトル防衛に成功しています。

2回とも60分時間切れに終わったドリー戦よりも、スッキリ決着がついたブリスコ戦を高く評価するファンも数多く存在していました。

ブリスコは2年後の73年7月20日(現地時間)テキサス州ヒューストンのサム・ヒューストンコロシアムでハーリー・レイスを破り第48代NWA世界ヘビー級王座を獲得し全日本プロレスに来日。74年12月には馬場に1週間王座を明け渡しています。

猪木がNWA世界ヘビー級王座に拘りを持っていたのがこの時期で「ブリスコなら勝てる」という絶対的自信があったのでしょう。

UN戦から8年後の79年4月にブリスコはフロリダのCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロムフロリダ)が新日本プロレスと提携したことで新日本プロレスのマットに初登場。

5月10日福岡スポーツセンターで猪木のNWFヘビー級王座に挑戦しましたが16分49秒、足4の字固めにいったところを首固めに丸め込まれて負けていますが、アリキック、延髄斬りなどと格闘技のエッセンスを採り入れた試合スタイルに変わっていた猪木とはスイングせずに終わりました。

本稿における「王者と挑戦者の双方が実力ピーク時点で激突する難しさ」というのは猪木vsブリスコのUN選手権試合のように大物の選手がお互いに全盛期でぶつかり合う試合というのは稀なケースで、

どちらかが成長途上、あるいはピークを過ぎていることが多いというものでした。本稿では猪木の全盛期に対戦相手も全盛期だったのはアンドレ・ザ・ジャイアント、坂口征二、タイガー・ジェット・シンでストロング小林、大木金太郎、ヒロ・マツダはピークは過ぎていたとのこと。

ならば日本プロレス時代であればドリー・ファンク・ジュニア戦、ディック・マードック戦、新日本プロレスではジョニー・パワーズ戦、ビル・ロビンソン戦、ウィリエム・ルスカ戦(初回)、ギリギリでボブ・バックランド戦はどうなのか?とツッコミを入れてしまうのはやはり野暮で、流さんの「古典文学」の「侘び寂び」を堪能するべきだろうとあらためて思った次第です。

※対戦成績は352戦57勝295敗、勝率162。
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