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2023年03月21日22:41

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(21)

第238戦、5月25日発売号●【予想】馬場正平と猪木完至が初対決(61年日本プロレス富山市体育館)【正解】猪木がタイガー・ジェット・シンとの初シングル戦で暴走の反則負け(73年新日本プロレス岐阜市民センター)【参考】2016年5月25日発売号はNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合、レス・ソントンvsタイガーマスク(82年新日本プロレス静岡産業館)

今回は予想、正解共に猪木とは深い因縁を持つ初対決の話題でした。

【予想解説】力道山死後の日本プロレス界の両巨頭としてエース、団体の代表として長く君臨してきた馬場と猪木。

馬場は1938年1月23日新潟県三条市出身、少年の頃から野球で活躍し、三条実業高校で投手として活躍しましたが中退しプロ野球読売巨人軍のテスト生となりプロデビュー、一軍に在籍していた時代もありましたが、成績不振から契約を打切られ、大洋ホエールズのテスト生として再起を図ろうとするも、合宿所の浴場で転倒、肘を負傷しプロ野球選手生活を断念、力道山を頼り60年に日本プロレスに入門。

猪木は1943年2月20日神奈川県横浜市鶴見区出身、少年時代は陸上競技で活躍するも父親が経営していた石炭商の事業に失敗し父親は若くして死去、母方祖父の発案により14歳の時にブラジルに移住、コーヒー農園や青果市場で働く傍ら前伯陸士競技大会で優勝、ブラジル遠征に来た力道山にスカウト(実際には猪木からの売込だったとも言われる)され60年日本プロレス入り。

4月11日に両者は日本橋浪速町(日本橋久松町)の道場で入団の挨拶を行っています。デビュー戦は今更ですが、同年9月30日、台東体育館、馬場は桂浜(田中米太郎)を5分15秒、股裂きで破り、猪木は1年先輩の大木金太郎を相手に7分6秒、逆腕固めで負け。

両者の初対決は翌61年「第3回ワールド・リーグ戦」富山大会。馬場はこのシリーズで初めてミスターX(ビル・ミラー)、アイク・アーキンス、ヘラクレス・ロメロなどの外国人選手と対戦しています。23歳の馬場と18歳の猪木ではまだまだ体力差は大きく、10分、馬場が209cmの長身を活かした羽交い絞めで猪木からギブアップ勝ち。

両者は63年10月2日、足利市月見ヶ丘高校体育館まで16回シングルで対戦し、馬場が16戦全勝。この結果はやむを得ないと思います。年齢の離れた同期と言えば武藤敬司と船木誠勝みたいなものです。両雄がメインイベンターになってからはついぞ対戦することなく終わっています。

【正解解説】日本で最も著名なヒール外国人レスラーとなったタイガー・ジェット・シン、本名はジャジット・シン・ハンス、1944年4月3日、インド・パンジャブ州出身、兵役を終えた後、インド古来のグレート・ガマ由来のインドレスリングを習得して65年にシンガポールでデビュー、その後カナダに渡りました。

カナダでは馬場のアメリカ修行時代の師匠でもあるフレッド・アトキンスにシュートレスリングを叩き込まれ、オンタリオ州トロントを拠点とするフランク・タニー主宰のNWA傘下団体メープル・リーフ・レスリングにおいて65年9月から本格的活動を開始、翌66年7月31日には師匠のアトキンスとのコンビで、同地区のインターナショナル・タッグ王座をホイッパー・ビリー・ワトソン&ブルドッグ・ブラワー組から獲得。

シンをプロレスラーとして高く評価していない馬場ですが、アトキンスの指導を受けていた弟弟子にあたり、アームドラッグの入り方が「俺と同じ」と著書に書いています。アドリアン・アドニスもアトキンスの指導を受けており、やはり同じ入り方でした。

67年6月11日、ジョニー・バレンタインを破って同地区のUSヘビー級王座を奪取。日本では無名の存在であったが、以降は当時のトロント地区ローカルながらメインイベンターとして活躍。

トロントに遠征してきたNWA世界ヘビー級王者ジン・キニスキーやWWWF世界ヘビー級9月24日と10月15日にはブルーノ・サンマルチノに挑戦。このあたりはプロモーターのタニーが全方位外交姿勢でトロントが優良マーケットだったことを現しています。USヘビー級王座は、エドワード・カーペンティアやドン・レオ・ジョナサンなどの大物を相手に防衛を続け68年5月まで保持、その後同王座は諸般の事情により71年まで空位となっています。

その後ベビーフェイスに転向し、インド移民の多いカナダではヒーローとなりました、71年2月に行われたザ・シークとのシングルマッチでは18,000人を超える大観衆を動員、当時の年収は80,000ドルにも達していたと言います。同71年はオーストラリアのジム・バーネット主宰のテリトリーに遠征してスパイロス・アリオンとも対戦、5月30日にはフジ・シンタロウことミスター・フジと組んでマーク・ルーイン&キング・イヤウケア組から豪州版IWA世界タッグ王座を奪取した。初来日直前の73年はオーストラリアをサーキットしており、日本で一緒になるニュージーランドのスティーブ・リッカードらとツアーを共にします。

シンを新日本プロレスに売り込んだのはシンガポール在住の吉田なる貿易商と言われており、日本に行くならヒールだとシンのヒール時代の宣材写真を新日本プロレス事務所に送り、シンの写真を見た猪木が一目で気に入ったとのこと。

シンの写真は口にナイフをくわえているモノでしたが「これじゃ面白くねぇな、サーベルでもくわえさせろ!」と言ったと言います。

シンの初来日はNETの放送がついて2シリーズ目の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」。開幕戦の5月4日、テレビ生中継の川崎市体育館大会、リングサイド最前列にターバンを巻いたシンが座り、セミファイナルの山本小鉄vsリッカード戦に乱入、小鉄をコブラクローで絞め落としてしまいました。

シンは当初の来日メンバーには入っておらず殴り込みをかけた形で新日本プロレスに登場、センセーショナルな話題を作りました。ビザの書き替えの為に一旦は香港に飛びワーキングビザに変更してからシリーズ参戦。

猪木との初対決は5月25日、岐阜市民センターでのテレビ生中継、メインイベントのシングルマッチ61分3本勝負で対戦、1本目は9分2秒、シンが体固め、2本目は1分53秒、猪木がアバラ折り(コブラツイスト)、決勝の3本目は3分53秒、猪木が暴走し反則負けを取られて2−1でシンの勝利となりました。

開幕戦の無法乱入でシンは「呼んでもいないのに勝手に殴り込んできた」としてテレビ生中継で強烈な印象を与え、猪木が制裁の為に立ち上がる、という見事な図式で、猪木とシンの対戦はテレビ放送がついた新日本プロレスが躍進するきっかけとなりました。

※対戦戦績は238戦44勝194敗、勝率185。
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