第176戦、3月10日発売号●【予想】鶴田試練の十番勝負第1戦、vsバーン・ガニア。マシオ駒が急死(76年全日本プロレス日大講堂)【正解】猪木vsストロング小林戦の危機を救った東スポ社長の英断、吉原功社長とS小林が和解(74年銀座東急ホテル)
【予想解説】前75年暮れ、ジャンボ鶴田を真の世界のメインイベンターに育成しようとに全日本プロレスが「試練の十番勝負」を企画。この対戦相手の選考を東京スポーツ新聞社に依頼し、ハガキによるファン投票が76年1月(31日締め切り)に行われました。ファン投票ランキング(投票総数約45,000通)1位ブルーノ・サンマルチノ(WWWFヘビー級王者、14,723)、2位テリー・ファンク(NWA世界ヘビー級王者、14,305)、3位ビル・ロビンソン(14,179)4位ドリー・ファンク・ジュニア(13,987)5位バーン・ガニア(12,651)、6位アブドーラ・ザ・ブッチャー(12,119)、7位ハーリー・レイス(12,008)、8位アントニオ猪木(NWF世界ヘビー級王者、11,560)、9位ラッシャー木村(IWA世界ヘビー級王者、9,422)、10位ジャック・ブリスコ(8,676)がベスト10。
以下は11位アンドレ・ザ・ジャイアント(8,102)、12位ペドロ・モラレス(7,511)、13位大木金太郎(インターナショナル王者、7,374)、14位ボボ・ブラジル(5,213)、15位ジン・キニスキー(4,918)、16位ジャイアント馬場(PWFヘビー級王者、4,495)、17位ディック・ザ・ブルーザー(3,729)、18位ミル・マスカラス(3,603)、19位タイガー・ジェット・シン(3,445)、20位ニック・ボックウィンクル(AWA世界ヘビー級王者3,147)。()内数字は投票数。ファン投票ランキングは30位までありますが以下は割愛。
この結果をもとに2月4日午後1時から東京・銀座のキャピトル東急ホテルで「ジャンボ鶴田試練の十番勝負」対戦者選考委員会が開かれました。
選考委員長は鶴田を全日本プロレ八田一朗(日本アマレス協会会長)、選考委員は田鶴浜弘(プロレス評論家)、小島貞二(スポーツ、芸能評論家)、高橋典義(東京スポーツ新聞社事業局長)、山田隆(東京スポーツ、日本テレビ解説者)、桜井康雄(東京スポーツ、NET解説者)、門馬忠雄(東京スポーツ、東京12チャンネル解説者)、石川雅清(デイリースポーツ新聞社)、藤沢久隆(ベースボール・マガジン社「プロレス」編集長)、竹内宏介(日本スポーツ出版社「ゴング」編集長)。
全日本プロレスより選考条件として病気、スケジュール、他団体との交渉を考え、対戦の可能性が濃い選手を選んでほしいという事で15人が選ばれた。この中から10選手と対戦予定。
選ばれた15選手はサンマルチノ、テリー、ロビンソン、ドリー、ガニア、ブッチャー、レイス、猪木、R木村、アンドレ、大木、ブルーザー、ニック、ザ・シーク(27位)、ルー・テーズ(30位)。
第1戦の相手に選ばれたのはAWAの帝王ガニア。ガニアは70年2月に国際プロレスに初来日、以後、国際プロレスと提携関係にありましたが、前75年、74年のS小林の離脱、TBSの放送打切り、凱旋帰国が予定されていた大剛鉄之助の交通事故による右足切断などトリプルショックに見舞われ、経営存続の危機に晒された国際プロレスはガニアの法外なピンハネに資金力がついていかず、
また、レスラー生命を絶たれた大剛が新たにスチュ・ハート、マッドドッグ・バションの元で外国人レスラーのブッカーの仕事で再起を図ろうとしていた為、外国人ルートを大剛のカルガリールートに変更。
ガニアはビジネスパートナーを馬場の全日本プロレスに鞍替えし75年「オープン選手権」にはバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、76年「新春ジャイアント・シリーズ」には前半戦にレイ・スチーブンス、後半戦にブルーザー&クラッシャー・リソワスキーをブッキング。
自身が終盤戦に特別参加する「エキサイト・シリーズ」にはワフー・マクダニエルを送りこみました。ガニアと鶴田の試練の十番勝負第1戦は3月10日、日大講堂で行われましたが、この日の朝、全日本プロレス旗揚げメンバーであり、デビュー前の鶴田をコーチしたマシオ駒(本名・駒秀雄)が腎不全から尿毒症を併発し35歳の若さで入院中の世田谷区三宿病院で亡くなりました。試合前に追悼セレモニーが行われています。
試合は60分3本勝負。1本目は19分12秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制、2本目は9分54秒、鶴田がジャーマン・スープレックスホールド、決勝の3本目は13分26秒、ガニアのバックドロップが崩れて共倒れとなり、両者カウントアウトで1−1の引き分けに終わっています。
【正解解説】予想解説と重複する部分はありますが、74年のS小林の離脱、TBSの放送打切りは国際プロレスに大きなダメージを与えました。
「新春パイオニア・シリーズ」が2月1日、札幌中島スポーツセンターで閉幕するとS小林は2月8日、国際プロレスからの離脱を申し入れ、2月13日、新宿区早稲田の喫茶店「ルナ」で単独記者会見を行い、国際プロレスを離脱してフリーになったことを表明、馬場と猪木に挑戦状を送ると表明しました。
一方、吉原功社長は契約書を縦に「団体の了承なく退団、他団体のリングに上がる時は1,000万円の違約金を払うこと」という項目があることを主張、合わせて、S小林の離脱は認めないとの見解を示しました。
S小林の挑戦状は、国際プロレスと友好関係にあった馬場は黙殺しましたが、猪木がこれを受けて立ち、3月19日、新日本プロレス「ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦、蔵前国技館で猪木のNWF世界ヘビー級王座にS小林が挑戦すると発表、ここに日本人トップレスラー同士の世紀の大一番が実現することとなりました。
3月1日、新宿・京王プラザホテルで調印式が行われ、猪木がS小林に張り手を見舞い、緊迫感は否応なしに高まっていきました。
その裏で、S小林の違約金問題には決着がついておらず、国際プロレスでは東京地裁に出場停止の仮処分を申請していました。
猪木vsS小林戦の主催者となっていた東京スポーツ新聞社の井上博社長の英断で違約金1,000万円を東スポが肩代わり、3月10日、銀座東急ホテルに吉原社長とS小林を呼び、「トレードマネー」として吉原社長に1,000万円を支払いました。
運転資金に窮していた吉原社長は東スポからの移籍金を受け取りました。翌日の紙面の「絵作り」としてS小林が吉原社長に頭を下げて詫びを入れている場面と、吉原社長がS小林に「頑張れよ」と激励している写真が撮られ、翌11日(12日付)の東スポ一面に掲載されています。
これによりS小林は「東京スポーツ所属レスラー」として晴れて猪木と対戦できることになった訳です。
※対戦成績は176戦34勝142敗、勝率193。
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