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2022年11月11日05:21

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ストロング小林さん追悼(308)

77年新日本プロレス秋の陣「闘魂シリーズ」は8月26日、群馬県桐生市民体育館で開幕。

スタン・ハンセン、ブラックジャック・マリガン、ザ・ハングマン(ネイル・グアイ)、ロディ・パイパー、ソニー・キング、ペッツ・ワトレー、ジョン・ハリスの外国人レスラーが参加。

当初はエース格は新日本プロレス初参戦となるWWWF地区の大物マリガンと目されましたが、新日本プロレスは2度目の参戦となるハンセンをエースに抜擢しました。

ハンセンは1〜2月の「新春黄金シリーズ」以来半年ぶりの来日、前回の新日本プロレス初参戦では猪木と5度に亘りシングルマッチで対戦。2反則負け3敗。1月14日、福岡九電記念体育館での一騎討ちでは加勢したタイガー・ジェット・シン、上田馬之助のアシストを受けながら、場外で猪木にラリアットを見舞い、病院送りにし、頸部第三脛節挫傷という重傷を負わせ2週間欠場に追い込んでいます。

今回は猪木のNWFヘビー級王座への挑戦が決定。基本的にシン、ジョニー・パワーズ、アンドレ・ザ・ジャイアントで廻していたNWF王座の挑戦者でしたが、パワーズに実力、観客動員力で衰えが目立ち、新しい力が必要とされていただけにハンセンが期待に応える暴れっぷりを見せられるか。

新日本プロレス初参戦のマリガンは70年11月、国際プロレスの「ビッグ・ウィンター・シリーズ」にボブ・ウィンダムとして初来日、開幕戦の11月19日、栃木県足利市月見ケ丘高校体育館でタッグの達人ラリー・ヘニングと組んでサンダー杉山&グレート草津組からIWA世界タッグ王座を奪取。

シリーズ中に3度の防衛を果たし、最終戦の12月12日、台東体育館で杉山&草津組に敗れて王座奪還されたものの1シリーズIWA世界タッグ王座に君臨しました。

再来日は73年9月の国際プロレス「第5回IWAワールド・シリーズ」この時は既にAWAでブラックジャック・ランザと組んでのザ・ブラックジャックスとして活躍しており、リングネームはマリガンになっていました。

この年はABブロック別総当たりリーグ戦でストロング小林とマリガンは別ブロックにおり、公式戦での対戦はありませんでした。

AブロックのS小林はラッシャー木村には勝ったものの、寺西勇にフォール負け、ラーズ・アンダーソンに反則負けで5勝2敗で予選落ち。Bブロックのマリガンは草津に敗れただけで6勝1敗で決勝進出しました。

AブロックはR木村とアンダーソン、Bブロックはマリガンと草津がブロック代表で決勝進出。10月10日、長崎国際体育館での優勝決定戦、決勝トーナメントは抽選の結果、たすき掛けで草津vsアンダーソン、R木村vsマリガンという組み合わせとなり、第1試合の草津とアンダーソンが両者KOで引き分け、共に出血多量により優勝決定戦出場を棄権。

これで第2試合のR木村とマリガンの試合の勝者が優勝ということになり、R木村が大流血戦の末、マリガンを体固めで破り初優勝。R木村のセコンドについたS小林はリングに上がりR木村を祝福しましたが、心中複雑だったに違いありません。

10月12日、広島県立体育館でS小林はメインイベントでマリガンと金網デスマッチで対戦、25分18秒、カウントアウトで破り溜飲を下げました。

翌74年はAWAからテキサス州アマリロに転戦、従兄弟であるディック・マードック、キラー・ブルックスと一緒に10月に全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ第2弾」に来日。

11月7日、静岡県沼津市民体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦しましたが、馬場はマリガンを「木偶の坊」と見下したか、2−0のストレート負けを喫し、以後は全日本プロレスから呼ばれることはありませんでした。

75年には再びランザとのブラックジャックスとして古巣AWA、WWWF地区を股にかけてファイト。75年8月26日、ペンシルバニア州フィラデルフィアではドン・デヌーチ&パット・バレット組を破りWWWFタッグ王座を獲得。

11月18日、同じくフィラデルフィアでトニー・パリシー(アントニオ・プグリシー)&ルイス・セルダン(ジノ・ブリット)組に敗れ王座転落、短命王者に終わりました。

76年にブラックジャックスは解散、マリガンは単独でノースカロライナ州を中心としたNWAミッドアトランティック地区、WWWFを中心にシングルプレイヤーとして活躍、相方のランザはAWA地区でボビー・ダンカンを新パートナーに活躍しています。

今回はWWWFのビンス・マクマホン・シニアのブッキングで新日本プロレスに初登場、日本プロレスに来日経験がないので猪木、坂口征二とは初対決となります。

ザ・ハングマン(ネイル・グアイ)は3度目の来日、75年4〜5月の「第2回ワールド・リーグ戦」にスーパー・デストロイヤーとして初来日、10勝4敗1分の10.5点と大活躍し注目を集めました。

翌76年4〜5月の「第3回ワールド・リーグ戦」では登場流行っていたパニック映画をモチーフにしたタワーリング・インフェルノのリングネームで2年連続出場しましたが、途中怪我による不戦敗もあり5勝8敗と振るわず。

帰国後、ロサンゼルス地区に黒覆面ザ・ハングマンとして登場、同地区の看板タイトルであるアメリカス・ヘビー級王座を2度に亘り獲得。ロスのトップとして実績をつけての参戦となります。猪木、坂口、S小林とは対戦済、キャリアの浅さを指摘された部分もありますが捲土重来なるか、注目です。(この項続く)
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