88年「新春ジャイアント・シリーズ」参加外国人選手プロフィールの続きです。序盤戦1月2日、後楽園ホール〜7日茨城県常陸太田市民体育館まで特別参加のAWA世界ヘビー級王者カート・ヘニング。前87年1〜2月の「創立15周年新春ジャイアント・シリーズ」以来1年ぶりの来日。
58年ミネソタ州出身の当時29歳。父親の名レスラー「北海の獅子王」ラリー・ヘニングとバーン・ガニアのコーチを受け、80年1月にデビュー。父ラリーも主戦場としていたAWAを経て、グリーンボーイ時代は太平洋岸北西部のオレゴンおよびワシントン州に拠点を置くPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)で活躍。82年4月にはラリーとの親子タッグでリック・オリバー&マット・ボーン組からNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を獲得し、デビュー以来初のタイトル戴冠を果たしました。
82年秋から83年上期にかけてWWF入りしジミー・スヌーカ、レイ・スチーブンス、マグニフィセント・ドン・ムラコ、スーパースター・ビリー・グラハム、イワン・コロフ、ビッグ・ジョン・スタッドら大物選手のジョバーを務めながらキャリアを積み82年11月に日本から遠征してきた初代タイガーマスクとも対戦しました。
翌83年11月、WWFルートで新日本プロレス「第4回MSGタッグ・リーグ戦」に初来日、ベテランのボビー・ダンカンと組んでエントリーしましたが、オットー・ワンツ&ウェイン・ブリッジ組に勝った1勝のみに終わりました。それでもハルク・ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック、アドリアン・アドニスらトップ外国人達と一緒にツアーを回ったのは大きな経験となりました。
84年よりAWAに復帰。ビンス・マクマホンの新体制下による全米マット界侵攻により、ホーガンをはじめとするスター選手が大量に引き抜かれた直後だったこともあり、早くから頭角を現しました。
85年11月には元AWA世界ヘビー級王者、ニック・ボックウィンクルと組んで全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」に初参加。この年は少数精鋭で白星配給係チームがおらず、優勝のスタン・ハンセン&テッド・デビアス組の7点と2点差、準優勝の鶴田&天龍組、馬場&ドリー・ファンク・ジュニア組、長州力&谷津嘉章組、ハーリー・レイス&ジェシー・バー組の6点と1点差の5点でニック&カート組、ダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス組、ラッシャー木村&阿修羅・原組と並んで3チームが同点最下位となりましたが、優勝したハンセン&デビアス組に反則勝ちで土をつけ、長州&谷津組とは時間切れ引き分けと活躍しました。
86年1月18日、スコット・ホールと組んでジム・ガービン&スティーブ・リーガル組を破り、AWA世界タッグ王座を獲得。 87年1月に全日本プロレスに再来日、1月17日、山口県徳山市体育館では長州のPWFヘビー級王座に挑戦、8分18秒、リキラリアットからの体固めでフォール負け。
帰国後の87年5月2日、カリフォルニア州サンフランシスコ・カウパレスでニックを破り第34代AWA世界ヘビー級王者となりました。ラリー・ズビスコが試合に介入したとして立会人からクレームが入り、タイトルは一時預かりとなるも、5月20日に最終的にはヘニングの王座奪取が認められた。デビュー以来ベビーフェイスとして活躍して来ましたが、これを機にヒールに転向、ニックのダーティチャンプ路線を継承しています。
今回はタイガーマスクの挑戦が決定。馬場の考えはAWA世界ヘビー級王座は鶴田、天龍、谷津が挑戦するまでもないと言ったところでしょうか?
迎え撃つ全日本プロレス本隊は前87年10月にジャパンプロレス経由で入団した元十両・玉麒麟の田上明が開幕戦でデビュー、アメリカに家庭を持つ佐藤昭雄が1年ぶり里帰り参戦。
天龍同盟はサムソン冬木&川田利明がこのシリーズから本格的にタッグチーム、「フットルース」(天龍が命名)として始動することになります。
シリーズのタイトルマッチ、ビッグマッチは1月2日、後楽園ホールでカート・ヘニングのAWA世界ヘビー級王座にタイガーマスクが挑戦。1月9日、テレビ生中継の松山・愛媛県民館では天龍&原組の龍原砲の持つPWF世界タッグ王座にアブドーラ・ザ・ブッチャー&TNT組が挑戦。同王座はブッチャーが新日本プロレスに移籍した後の84年4月に新設されており、ブッチャーの挑戦は初。
シリーズ参加外国人のエース、ブッチャーは1月13日、鹿児島県立体育館で鶴田のインターナショナル・ヘビー級王座にも挑戦。ブッチャーの第一次全日本プロレス参戦時最後のシリーズが81年4月の「インター・チャンピオン・シリーズ」でありブッチャーは復活インターナショナル・ヘビー級王座決定トーナメントに出場、現王者の鶴田と4月26日、後楽園ホールで準々決勝で対戦、5分58秒に反則勝ち。鶴田とはそれ以来のシングル対決となります。
インターベルトそのものへの挑戦は初来日の70年9月17日、日本プロレス台東体育館で馬場に挑戦して以来実に17年4か月ぶり。
1月28日、岩手県花巻市民体育館では渕正信にピート・ロバーツが挑戦する世界ジュニア・ヘビー級選手権試合が行われ、シリーズ最終戦の1月29日、後楽園ホールでは石川敬士&マイティ井上組のアジア・タッグ王座に冬木&川田組のフットルースが挑戦。
東京の大会場での興行はなく、新日本プロレスとの興行戦争も後楽園ホールは全日本プロレスが1月2日、3日、29日の3回開催、新日本も「新春黄金シリーズ」が1月4日、後楽園ホールから開幕、後楽園ホールはこちらも4日、1月5日、2月5日の3回開催。
新日本はジュニアの祭典「トップオブ・ザ・スーパージュニア」と猪木vsビッグバン・ベイダーの抗争で巻き返しを図っていきます。他に新日本は2月4日、大阪府立体育会館、最終戦が2月7日、札幌中島体育センター。全日本&ジャパン提携時代の85〜87年の3年間に亘って全日本に奪われていた「札幌雪まつり興行」を4年ぶりに取り戻しました。
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