83年ジャイアント・シリーズもう一つの目玉は、鶴田が6月17日、テキサス州ダラス・リユニオン・アリーナでのテッド・デビアスとの防衛戦(首固めで鶴田の勝利)を最後に「インターナショナル・ヘビー級王座奪取に専念する為」という理由で返上されたUNヘビー級王座決定戦でした。
鶴田はUNのベルトをタイトルを管理しているPWF本部にではなく、ダラスのプロモーターであるフリッツ・フォン・エリックに返上しています。
筋から言えばロード・ブレアースPWF会長に返すのが普通ですが鶴田は敢えてアメリカ本土でフリッツに返上。
鶴田のベルト返上を受けてフリッツの肝入りでNWAの全米ローカルテリトリー各地で王座決定トーナメントが6〜8月にかけて開催されたというニュースが、シリーズ開幕前に入って来ました。
トーナメント参加選手はケリー・フォン・エリック、マイケル・ヘイズ、ジェリー・ローラー、スパイク・ヒューバー、リッキー・スティムボート、ロディ・パイパー、ディック・スレーター、ロン・フラー、テッド・デビアス、ジム・ガービン、バリー・ウインダム、マイク・グラハムの12選手。
開催場所はテキサス州ダラス、テネシー州メンフィス、ノースカロライナ州シャーロッテ、フロリダ州ペンサコーラ、同マイアミビーチ、オクラホマ州タルサ。
つまり、フリッツ以外にテネシーのローラー、ノースカロライナのジム・クロケット、フロリダのエディ・グラハム、オクラホマのビル・ワット(ワットはこの時期NWAのメンバーに非ず、独立してMSWAを主宰しており、デビアスはそこで試合をしていた、メンバーだったレロイ・マクガークは既にプロモーター業から撤退)のプロモーター達が協力したことになります。
しかし、これだけ豪華なメンバーを集めて全米各地で開催されたはずの「全日本のベルト」であるUNヘビー級王座決定トーナメントの試合結果や写真が、日本に伝わってくることはありませんでした。
決勝に残ったのはテネシー代表のローラーとオクラホマ代表のデビアス。
当初、ジャイアント・シリーズにはローラー待望の初来日が発表され、デビアスと10月14日、佐世保市体育文化会館で王座決定戦が行われると発表されています。
佐世保大会の勝者に10月23日、後楽園ホールで天龍が挑戦することになっていました。
しかし、ローラーが負傷の為来日がキャンセルされています。
全米に強力なネットワークを持つ馬場だけに、この王座決定トーナメントは新日本プロレスのIWGPの世界各地で行われた予選と比べて信憑性は高かったですが、これも架空のトーナメントではないかと思われ、UNヘビー級王座に箔をつける為に作られたストーリーである可能性が高いです。
ゴング等を初め、マスコミにもこのトーナメント表は掲載され、日本テレビの全日本プロレス中継の中でも紹介されています。
おそらく、ゴング編集人である竹内宏介氏が考案したトーナメント表であると推測出来ます。
しかし、やっていないことを証明することはやったことを証明するより難しく、やっていない証拠がないのであくまで推測なのであります。
何故そんな疑いの目で見るのか?と怒られそうですが、その根拠の1つとして日本プロレス時代にも開催された(とされる)UN王座決定トーナメントの記録がありますのでこちらとよく比較して次回検証していきます。
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