第388戦、5月1日(木)発売号●【予想】サンマルチノ政権に幕、鉄腕グラハムがWWWFヘビー級王座獲得WWWFヘビー級選手権試合、ブルーノ・サンマルチノvsスーパースター・ビリー・グラハム(77年4月30日【現地時間】メリーランド州ボルチモア・シビックセンター)【正解】新日本の草創期を支えた明大同期コンビの初対決、第1回ワールド・リーグ戦決勝リーグ戦坂口征二vsマサ齋藤(74年4月30日新日本プロレス鹿児島県立体育館)
【参考】2014年4月30日発売号はファンクスが最初で最後の兄弟対決!インターナショナル・ヘビー級選手権試合、ドリー・ファンク・ジュニアvsテリー・ファンク(81年全日本プロレス松戸市運動公園体育館)
【予想解説】GW編成に付き、この週は5月1日の木曜日発売となりました。77年4月25日(現地時間)、ニューヨーク・MSGではブルーノ・サンマルチノvsバロン・フォン・ラシクのWWWFヘビー級選手権試合が行われました。観客発表は20,800人。
試合はサンマルチノがマシンガンキックの連発で先制。急所打ちで逃げるラシク、サンマルチノはさらにラシクをコーナーに叩き付けてニーパット。ラシクはブレーンクローでサンマルチノのこめかみをギリギリと締め上げましたが、サンマルチノは下からラシクの足をすくってダウンさせるとベアハッグ。
ショルダータックルからボディプレスの体勢に入り、20分6秒、体固めでサンマルチノの勝利、タイトル防衛に成功、限界説を吹き飛ばしてみせたかのようでした。しかし、サンマルチノ時代の終焉は突然やって来ました。
そのわずか5日後の4月30日(現地時間)メリーランド州ボルチモアのシビックセンターでサンマルチノは鉄腕スーパースター・ビリー・グラハムの挑戦を受けました。
グラハムをベアハッグにとらえたサンマルチノでしたが、グラハムはベアハッグをかけられながらコーナーのターンバックルを蹴り、その勢いでサンマルチノをダウンさせてサンマルチノの両足を取るとエビ固めに押さえ込みました。
サンマルチノの片足が一旦外れましたがグラハムはそのまま体重をかけて押さえ込み、グラハムの両足はターンバックルにかかっていましたが、レフェリーのジェームス・カダックはカウント3を入れ、18分36秒、片エビ固めでグラハムのフォール勝ち。
両足をコーナーのターンバックルやロープにかけたままフォール勝ちするパターンはアメプロの古典的ムーブであり、後から判定が覆ったりすることもありましたが、この時は判定が覆ることはなく、グラハムは第7代WWWFヘビー級王者となりました。
王者となったグラハムは5月7日、ペンシルバニア州ハリスバーグでチーフ・ホワイト・ウルフ(ネイティブアメリカンレスラーで64年に日本プロレスに来日、謎のアラビア人キャラ、シーク・オブ・シークス・バクダットとして74年、新日本プロレスへ再来日)をベアハッグで破り、タイトル初防衛に成功すると、5月16日(現地時間)MSGの定期戦にWWWFヘビー級王者として登場。
巨象ゴリラ・モンスーンの挑戦を受け防衛戦を行っています。
ビンス・シニア時代のWWWFの運営会社「キャピタル・スポーツ・コーポレーション」の共同オーナー(ビンス・シニアとモンスーン、フィル・ザコの3人がオーナーでビンス・シニアが代表)の一人であり、フロント業務も忙しくセミリタイア状態だったモンスーンでしたが、4月のMSG定期戦でニコリ・ボルコフをわずか24秒でフライング・ボディプレスで圧殺し、強烈なカムバックを果たしていました。
サンマルチノの王座転落ということでこの日のMSGの入りは15,000人発表と満員とはならず。
試合はモンスーンが得意のジャイアント・スィングでグラハムを豪快に振り回し、さらにグラハムとモンスーンのベアハッグ合戦となりましたが、グラハムはベアハッグからモンスーンをコーナーポストに打ち付けてダウンさせ、コーナーマット最上段からのフライング・ニードロップを決め、9分35秒に体固めでモンスーンをフォール。MSGでタイトル防衛に成功しました。
MSGで防衛戦をやった、ということでグラハムがイワン・コロフやスタン・スタージャックのようなショートリリーフ・チャンプでない、というのは証明出来ましたが、私はまだサンマルチノが王座を奪い返すのではないか、と思っていました。
グラハムは確かにビルドアップされた肉体美に搾り染めの赤やオレンジ、ブルーのロングタイツは黄金のチャンピオンベルトにピタッとくる位似合っていましたが、前年76年の9月に新日本に来た時の品川スケートセンターでの猪木戦(9月10日)の内容が大した試合ではなく、何となく「見かけ倒し」のような感じがしていたからです。
この日、ベルトを失ったサンマルチノは鋼鉄ゴリラ、ジョージ・スチールと対戦。スチールの額を椅子で叩き割り、流血に追い込んで憂さ晴らしとばかりドクター・ストップ勝ちしています。
【正解解説】坂口征二とマサ齋藤と言えば「明大同期の桜」として知られ、67年の坂口のプロレス入りから坂口の90年の引退まで、途中ブランクはありますが互いにライバルとしてタッグを組んだり、闘ったりした親密な間柄でした。
坂口の引退の前年となる89年6月アントニオ猪木が参議院選出馬表明の時期に新日本プロレスの社長に就任した坂口ですが、その時期に渉外担当取締役として「入閣」したM齋藤。
AWA時代に懇意にしていたWCW副社長だったエリック・ビショフとのルートで新日本プロレスとWCWとのパイプ役となり、リック・フレアー、ランディ・サベージ、スティング、リック&スコットのスタイナー・ブラザーズなど多くのトップスター外国人を新日本プロレスのリングに招聘に成功させています。
坂口とM齋藤が初めて対戦したのが74年4月30日の第1回ワールド・リーグ戦、鹿児島県立体育館大会。
72年3月に旗揚げしたアントニオ猪木の新日本プロレスはこの74年より日本プロレスの歴史と伝統のあるワールド・リーグ戦の名称をちゃっかりと使い、第1回大会を4月5日後楽園ホールからスタートさせていました。
参加選手は日本側が猪木、坂口、星野勘太郎、山本小鉄、永源遙、木戸修、柴田勝久、M齋藤、外国人側がキラー・カール・クラップ、ジ・インベーダー(ビル・ドロモ)、スタン・スタージャック、ジート・モンゴル(ブラックジャック・ダニエル)&ボロ・モンゴル(ビル・イーディー、後のマスクド・スーパースター、アックス・デモリッション)組のザ・モンゴルズ、コシロ・バジリ(後のアイアン・シーク)、アルゼンチン・ズマ、ウォルター・ジョンソンの全16人。
予選リーグ戦は日本側対外国人側の総当たりリーグ戦で、予選を勝ち抜いた双方上位4人ずつの計8人が決勝リーグ戦では日本側、外国人側問わずの総当たりリーグ戦で激突、これにより、日本人対決、外国人対決が実現しています。
決勝リーグ戦出場者は日本側が猪木、坂口、星野、M齋藤、外国人側がクラップ、インベーダー、スタージャック、ボロの8選手で4月26日広島県立体育館では猪木vs坂口の初のシングル戦が行われ、30分時間切れ引き分けとなりました。
坂口とM齋藤の明大同期の桜対決は17分11秒、坂口がアトミックドロップからの体固めでフォール勝ちしています。
※対戦成績は388戦61勝327敗、勝率157。
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