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2025年04月22日00:16

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【特別編】前田日明のYouTubeにおける問題提起について(9)

ミレニアムを迎えた00年の日本プロレス界、新日本プロレス4月7日金曜日東京ドーム大会はテレビ朝日で生中継されました。テレ朝での生中継は88年8月8日横浜文化体育館での藤波辰巳に猪木が挑戦したIWGPヘビー級選手権試合以来12年ぶり、「金曜8時台」で言えば86年9月19日福岡スポーツセンター以来約14年ぶりとなりました。

メインイベントは橋本真也と小川直也の一騎討ち、前99年1月4日東京ドームでの「1・4事変」での結果はノーコンテストなれど実質的にKO負けした橋本は10月11日同所での再戦(NWA世界ヘビー級選手権試合)にも敗れ、「引退を賭ける」と決意し小川との5度目の対戦に臨みましたが、テレ朝ではこの一戦を「橋本真也34歳、負けたら即引退スペシャル」と番組の冠につけての煽りました。

試合は15分7秒、小川のSTO6連発で動けなくなった橋本がKO負け。果たして橋本は引退するのか…。

三沢光晴体制になった全日本プロレスでは選手の身体の負担の軽減に取り組み、3〜4月の「チャンピオン・カーニバル」は25年ぶりにトーナメントで優勝争いが行われ、大森隆男が決勝に進出、4月15日日本武道館で小橋健太と優勝決定戦を行いましたが、剛腕ラリアットとアックスボンバーの相討ちに打ち負け、最後は小橋がとどめのショートレンジからのラリアットを決めてフォール勝ち、小橋が初優勝を果たしました。

5月1日東京ドームで行なわれた「PRIDE−GP」で桜庭和志がホイス・グレイシーと1ラウンド15分無制限ラウンドで対戦、6ラウンド終了後ホイス陣営がタオルを投入して桜庭のTKO勝ちとなり、桜庭は総合格闘技で世界に通じるプロレス界の救世主として一躍脚光を浴びることになりました。

5月13日(現地時間)フィリピン・マニラで肝臓移植手術を行った鶴田が出血多量によるショックで死亡、49歳の若さでした。

鶴田は前99年3月に引退を発表して渡米、研究交流プロフェッサー制度によりスポーツ生理学の教授待遇として、オレゴン州ポートランド州立大学に赴任していましたが、前年の暮れにポートランドより一時帰国した際に神戸の病院で検査したところ肝臓癌が見つかり、移植の権威である岐阜市の松波総合病院へ入院。

日本での肝臓移植を目指したもののドナーが見つからず、海外での移植を目指し韓国・オーストラリアでドナーを求めたもののかなわず、5月2日にマニラ入り。ケソン市にある国立腎臓研究所に血液検査などを受ける為に一時入院した後、ドナーを待ちフィリピンに滞在していました。

5月12日ドナーが見つかったとの連絡を受け国立腎臓研究所に再入院し、13日午前0時頃より移植手術開始されました。しかし手術終盤になって大量の出血が続き、約25リットルの輸血を行ったものの、手術開始から16時間後の午後4時、大量出血によるショックで帰らぬ人となりました。

5月16日午前11時過ぎ、港区六本木の全日本プロレス事務所よりマスコミ各社へ訃報の公式文章がファックスで送信され、午後4時から三沢光晴社長が千代田区麹町の日本テレビで緊急記者会見を行いました。

5月17日午後7時35分成田着JAL742便で鶴田は無言の帰国。三沢社長と関係者が家族を出迎えたました。5月19日午後1時から世田谷区の公益社用賀会館で親族、友人、全日本プロレスの選手・関係者ら約100名が出席して告別式が営まれています。

5月20日「スーパー・パワー・シリーズ」開幕戦となった埼玉県大宮市民体育館で、試合開始前に三沢社長が鶴田の遺影を持ってリングの中央に立ち、全選手がリングを囲み、観客と共に1分間の黙祷を行いました。

5月26日東京ドームでの「コロシアム2000」では船木誠勝がヒクソン・グレイシーと1ラウンド15分無制限ラウンドで対戦し、1ラウンド11分46秒、チョークスリーパーで絞め落とされ惨敗を喫し船木は引退を発表しています。

00年6月9日全日本プロレス「スーパー・パワー・シリーズ」最終戦日本武道館ではベイダー&スティーブ・ウイリアムス組の返上により空位となった世界タッグ王座決定ワンナイト・トーナメントが行われ、1回戦でジョニー・エース&バート・ガン組を破った川田利明&田上明組と三沢&小川良成組を破った大森隆男&高山善廣組が王座決定戦で対戦、16分59秒、川田が大森をジャンピング・ハイキック、胴絞めスリーパーから片エビ固めで押さえ川田&田上組が王座獲得。

しかしこの時全日本プロレスの社長である三沢は総括記者会見をせず会場を後にしていました。翌10日各マスコミが三沢へ電話取材をしたところ、5月28日後楽園ホール大会終了後に開かれた全日本プロレスの臨時役員会において三沢社長を解任する動議が提出され、賛成多数で可決されたこと、三沢は3月31日全日本プロレスとの契約が切れた後に契約更新をしていないことが判明しています。

また契約更新について、選手会とオーナーサイドで契約内容の話し合いが難航し所属選手全員が全日本プロレスと契約しないままシリーズに参加していた事も判明しています。

6月13日午後4時から港区虎ノ門の法律事務所で全日本プロレスの役員会が開かれ、(渕正信は家族が急病のため欠席)が、出席した10名の役員のうち三沢、百田光雄、田上、小橋、百田義浩、大八木賢一の6名が辞表を提出して退席し、役員会は約10分で終了してしまいました。

6月14日午後5時過ぎ全日本プロレス事務所で川田利明が記者会見を行い、全日本プロレスと契約を更新した事を発表。全日本プロレスはこの日から契約の更新を開始し選手に電話連絡をしたものの、会社に現れたのは川田だけでした。選手以外では和田京平レフェリーと木原文人リングアナが契約を更新。また馬場元子オーナーの声明文がマスコミに配られています。

6月16日午前、三沢ら選手24人、練習生1人(杉浦貴)、レフェリー・リングアナ6人(マイティ井上、西永秀一、福田昭彦、山本義浩、仲田龍、難波信二)計30人の辞職届が内容証明郵便にて全日本プロレス事務所に届けられ、午後4時から三沢が江東区有明にあるディファ有明の敷地内にある事務所で記者会見を行い新団体「プロレスリング・ノア」の設立を発表しています。

記者会見後は選手全員によるマスコミに対する撮影が行われました。同日午後6時、家族の急病の為に福岡の実家に帰っていた渕正信が帰京し、全日本プロレスの事務所で契約を更新しました。

日本テレビ「全日本プロレス中継」は6月21日の放送分を持って、放送が打ち切りとなっています。所属レスラーが川田、渕、それに外国人契約レスラーだったマウナケア・モスマンしかいなくなってしまった全日本プロレスは7月1日ディファ有明で「サマー・アクション・シリーズ」が開幕。選手はフリー選手とインディー団体から寄せ集めて何とか興行を打っています。

第2戦の7月2日後楽園ホール大会、三沢に代わって全日本プロレスの社長となった馬場元子に呼ばれて「サンダーストーム」のテーマ曲がかかり、10年ぶりに天龍源一郎が全日本プロレスのリングに上がりました。(この項続く)
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