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2025年02月24日08:24

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(49)

第370戦、12月18日発売号●【予想】猪木、MSGで「格闘技世界王者」に認定される、WWWF格闘技世界ヘビー級選手権試合、猪木vsテキサス・レッド(78年ニューヨークMSG)【正解】12年越しにリング上で果たされた東京プロレスの清算、プレ日本選手権優勝決定戦、猪木vsヒロ・マツダ(78年12月16日新日本プロレス蔵前国技館)

※参考 2019年12月18日発売号は●【予想】今回予想に同じ【正解】新日本が創立3年目にして初の海外遠征を実現、新日本プロレスブラジル遠征シリーズ。(74年12月15日ブラジル・サンパウロ・コリンチャン・スタジアム&19日ロンドリーナ・モリンゴン・スタジアム)この時点での対戦成績は115戦22勝93敗、勝率190。2013年12月18日発売号は史上最高の参加メンバーを揃えた豪華祭典の明と暗、オープン選手権最終戦、馬場vsホースト・ホフマン(75年全日本プロレス川崎市体育館)

【予想解説】78年の猪木はモハメド・アリ戦で背負った負債完済の為、異種格闘技戦を積極的に行い、世界を駆け回りました。4月4日、ペンシルバニア州フィラデルフィア・スポーツアリーナで全米プロ空手WKA世界ヘビー級王者ランバージャック・ジョニー・リーを3ラウンド1分19秒、バックドロップに沈めてKO勝ち。

国内でもこの年よりWWWFとの提携強化により開催された「第1回MSGシリーズ」5月30日、大阪府立体育会館での優勝決定戦でアンドレ・ザ・ジャイアントを16分41秒、リングアウトで破り初優勝。2日後の6月1日、日本武道館ではボブ・バックランドの持つWWWFヘビー級王座と自ら保持するNWFヘビー級王座を賭けたダブル・タイトルマッチを行い、1本目は40分8秒、場外でのバックドロップで猪木がリングアウト勝ち、2本目は61分時間切れとなり猪木が1‐0で勝ちましたがルールによりタイトル移動はなし。

MSGシリーズが終わって1週間経たない6月7日には福岡スポーツセンターでザ・モンスターマンと前77年8月2日、日本武道館以来の再戦を行い7ラウンド1分58秒、グラウンド・コブラツイストでギブアップ勝ち。

さらに11月は7日〜29日までローラン・ボックの招きにより西ドイツ、オランダ、ベルギー、スイスを網羅した「欧州世界選手権シリーズ」に参戦、11月26日、西ドイツ・シュツットガルト・ギルスベルク・ホールでボックとの決勝戦で4分10ラウンドに判定負け。20戦12勝1敗7分の成績を残しています。 

帰国後直ぐに開催中の「プレ日本選手権」に決勝トーナメントから出場、星野勘太郎、ストロング小林、マサ齋藤を破って決勝へ進出し、12月16日、蔵前国技館でヒロ・マツダを23分6秒、卍固めで破り優勝(正解解説で詳しく解説致します。)

シリーズ終了後はすぐさま渡米し12月18日、ニューヨークMSGのリングに3年ぶりに出場。当初はテキサス・レッド(レッド・バスチェン)とNWFヘビー級王座の防衛戦を行う予定でしたが、WWWFの代表であるビンス・マクマホン・シニアからこれまでの一連の異種格闘技戦の功績を讃えられ、「ワールド・マーシャルアーツ・ヘビーウェイト・チャンピオン」(格闘技世界ヘビー級王者)に認定されると共にベルトが寄贈されました。

レッドとの一戦は同王座の初防衛戦に急遽変更されました。(レッドは純粋なプロレスラーであり格闘技戦との関連は全くない)試合はベテランであり試合巧者であるレッドが善戦健闘しましたが、16分27秒、猪木がダブルアーム・スープレックスからの体固めでレッドをフォールし、初防衛に成功しています。

【正解解説】予想と正解は同じ年の2日(予想は海外での出来事であり実質3日)差であり、何とも残念、猪木vsマツダは予想開始前の2015年12月16日発売号で『「玄人好みの究極名勝負」。空席目立つ蔵前でキラリ「日本選手権」の輝き』として一度採り上げられており、既出ネタでした。

78年「プレ日本選手権」最終戦、12月16日蔵前国技館大会は新日本プロレスとしては珍しい、というより初となる土曜日の蔵前大会の開催となりました。流さんご指摘のように観衆は7,000人発表と不入りでした。

試合前に12月14日の大阪府立体育会館に続き国際プロレスの吉原功社長が、日本リーグ争覇戦優勝者でありIWA世界ヘビー級王者のラッシャー木村と、前77年11月、ラグビー界からプロレス入りし、6月26日、大阪府立体育会館での寺西戦(15分時間切れ引き分け)でデビューした後、半年間のカナダ武者修行を終えて凱旋帰国した原進(阿修羅・原)がリングに上がり新日本プロレスのファンに挨拶しています。

R木村が新日本プロレスのリングに最初に上がったのは81年9月23日、田園コロシアムでの「こんばんは」の一件の時ではなく、この時が初でした。

シリーズの前半を欠場し、ローラン・ボックの招聘によりヨーロッパ遠征を行い、ハードスケジュールにより明らかに疲労気味の猪木は決勝トーナメントで星野勘太郎、ストロング小林、マサ齋藤を連破して決勝戦へ進出。

一方、狼軍団の首領であるマツダは上田馬之助の棄権による不戦勝、藤波辰巳、坂口征二を破り決勝へ進出しました。(蝶野正洋、天山広吉、ヒロ斎藤が95年に結成したユニットは狼群団と表記)

64年にアメリカ修行に出た猪木は、在米フリーの大物日本人レスラーであるマツダのサポートを受け、65年にテキサスからテネシーに転戦した際、マツダとのタッグで日本人としては当時珍しい正統派チームとして活躍。

1月24日メンフィスではエディ・グラハム、サム・スティムボート組を破りテネシー州版NWA世界タッグ王座を獲得。67年1月の東京プロレス&国際プロレス合同興行の時にもタッグを結成して闘っていました。 

その後猪木は日本プロレスへ復帰、マツダは国際プロレスから離れてフロリダに戻りました。70年11月、マツダは日本プロレスの「インターナショナル選手権シリーズ」に特別参加しましたが猪木とはタッグ結成は6人タッグを含めてなし。73年からは馬場の全日本プロレスに助っ人参戦していました。

マツダの猪木に再び接点が生まれたのがこの年の6月、国際プロレスを退団してフリーとなった剛竜馬が、フロリダ州タンパにあったマツダの自宅を訪ね弟子入り。

藤波への挑戦を表明した剛をマツダがサポート、6月9日ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムのリングでカルロス・マタの挑戦を退けWWWFジュニア・ヘビー級王座防衛に成功した藤波にマツダと共に姿を現した剛は藤波に対戦を表明。

これを受けて7月27日日本武道館で藤波vs剛戦が実現。(藤波の勝利)マツダは剛のセコンドとして初めて新日本のリングに上がりました。

そして、現役としてもフリーの日本人レスラーのトップとして狼軍団を結成、打倒猪木を目指し新日本のリングに参戦しました。

12月14日大阪でのボブ・バックランドvs猪木のWWWFヘビー級選手権試合に上田、マサ齋藤らを引き連れて乱入し試合をぶち壊したマツダでしたが、本来はヒールではなく、試合は技対技のクリーンな白熱した好試合となりました。

マツダが猪木の得意技であるコブラツイストを仕掛ければ猪木も同じコブラで応戦。グラウンドの攻防ではバナナ・スプレッドでは猪木を苦しめ名人同士の見事な技の応酬を見せました。

しかし、76年から開始された一連の異種格闘技戦で身に付けた猪木の打撃技はマツダの知らない猪木の武器であり、猪木の腕への廻し蹴り、延髄斬りそして最後は卍固め。マツダのセコンドの狼軍団が大挙して乱入してきましたが、坂口、藤波らも入ってこれを阻止。23分6秒、猪木がマツダをギブアップさせて優勝を果たしています。

また、この日、国際プロレス勢が新日本プロレスのリングに初参戦、アニマル浜口、寺西勇組が長州力、木戸修組と30分時間切れ引き分けとなりました。

※対戦成績は370戦59勝311敗、勝率159。

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