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2025年01月16日07:18

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(10)

第331戦、3月13日発売号●【予想】“猪木ベルト“を継承した坂口の前に最初に立ちはだかった難敵、UN選手権試合、坂口征二vsハーリー・レイス(72年日本プロレス仙台・宮城県スポーツセンター)【正解】アリ陣営から見た猪木との再戦に存在したハードル(77年3月14日)

※参考 2019年3月13日発売号は●【予想】猪木、「挑戦者としての資格に欠ける」シンにNWF王座を奪われる、NWF世界ヘビー級王座決定戦、猪木vsタイガー・ジェット・シン(75年新日本プロレス広島県立体育館)【正解】「マイナー」の陰口に耐え、牙を研いでいた雌伏の国際プロレス、IWA世界タッグ選手権試合、グレート草津&マイティ井上組vsキラー・トーア・カマタ&カルロス・コーラン(コロン、76年国際プロレス茨城県境町民体育館)この時点での対戦成績は76戦17勝59敗、勝率223。2013年3月13日発売号は全面対抗シングル戦」史に残る不朽のワンナイト、全日本プロレスvsジャパンプロレス6対6全面対抗戦、天龍源一郎vs谷津嘉章、タイガーマスクvs長州力、鶴田vsアニマル浜口、M井上vsキラー・カーン他(86年全日本プロレス日本武道館)

【予想解説】71年12月13日に会社乗っ取りを企てたクーデター犯として日本プロレスを除名・追放処分となった猪木。

猪木はクーデター犯として上田馬之助が芳の里社長にリークされるまではインターナショナル・タッグ、UN、アジア・タッグの三冠王者でしたが、事件が発覚すると身ぐるみ剥がされるかのように3つベルトを失いました。

馬場とのBI砲で保持していたインターナショナル・タッグ王座は71年12月7日札幌中島スポーツセンターでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組に2−1で敗れ王座転落。

猪木は札幌大会が終わると東京に戻り、尿管結石で12月8日代々木の小林外科病院に入院、以後試合を欠場。12月9日大阪府立体育会館で行われる予定だったドリーとのNWA世界ヘビー級、UNのダブル・タイトルマッチをキャンセル。ベルトは返上となりました。

坂口は猪木の代打でドリーのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、1−1からバックドロップからの体固めで敗れています。

猪木が吉村道明とのタッグで保持していたアジア・タッグ王座も返上され、12月12日東京体育館で坂口が吉村と組んでドリー&ディック・マードックと王座決定戦が王座決定戦が行われ、坂口&吉村組が2−1で勝ち、新王者チームとなりました。

明けて72年、猪木の除名により空位になったUN選手権の王座決定戦は当初「新春チャンピオンシリーズ」に来日が予定されていたWWWFヘビー級王者のペドロ・モラレスと坂口とのの間で行われる予定でしたが、モラレスの来日キャンセルにより頓挫。

1月15、16日の両日に亘りカナダのバンクーバーで王座決定トーナメントが行われました。トーナメントの参加者は。初代王者デール・ルイス、ルーク・グラハム、ボリス(グレート)・マレンコ、ドン・ジャーデン、ペッパー・マーチン、ロニー・メイン、シャグ・トーマス、ルター・レンジ、トム・アンドリュース、ビル・ワット、ボビー・グラハム(ザ・ヘラキュリー)、キング・クローの12名。優勝決定戦はクローとトーマスの間で行われ、21分36秒でクローがキングを破り王座を獲得しています。(2000年5月「日本プロレス50年史」、日本スポーツ出版社より)

とありますが、実際には架空のトーナメントでしょう。UN王座は日本、アメリカ、カナダ、メキシコの4か国で認定されている準国際タイトルということになっていましたので権威付けの為にカナダで王座決定トーナメントが行われたことにしたのでしょう。

坂口は「新春チャンピオン・シリーズ」終了後ロサンゼルスに飛び、2月11日(現地時間)オリンピック・オーデトリアムでクローを2−1で破りタイトルを獲得しました。

UN、アジア・タッグの二冠王者となった坂口は次期「ダイナミック・シリーズ」に来日した「美獣」レイスの挑戦を受けて初防衛戦を行っています。挑戦者のレイスはこの時29歳、まさに登り調子でこの1年2か月後の73年5月24日(現地時間)カンザス州カンザスシティ・メモリアルホールでドリーを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得、4年3か月にわたるドリー政権にピリオドを打って見せました。

1本目は8分43秒、レイスが首固め、2本目は5分18秒、坂口がリングアウト勝ち、決勝の3本目は4分30秒、坂口が体固めで取り、2−1で王座初防衛に成功しています。

【正解解説】76年6月26日日本武道館で行われた「20世紀最大のスーパーファイト」モハメド・アリvs猪木の格闘技世界一決定戦。結果はご存知の通り15ラウンドフルに闘っての引き分けでしたが、猪木陣営はアリとの再戦に向けて早くも動き出しています。

77年3月16日付(15日発行)の「東京スポーツ」1面に「アリ・猪木再戦」の赤見出しが載せられ、全米最高の発行部数を誇っていた一般紙「ニューヨークタイムス」に猪木の写真入りでインタビューを掲載、そこで「アリ側も認めた」とあったところからニューヨークタイムスの記事を引用しながら、アリ・猪木の再戦が実現に向かう、という内容の記事が掲載されました。

猪木は「1月中旬にアリに対し文書で再戦の要望書を出した。しかし内容は公表できない。私とアリとは裁判で争っており、そのことが書いてあるからだ。ただ、その文書の内容は"裁判で争うより、男らしくリングで闘おうじゃないか"というもの(中略)アリ側とはいつでも連絡が取れる体勢にはなっている。何月何日、どこでやるかとは言えないが、間違いなくこの問題は一歩を踏み出している」とコメントしています。

12月15日に中近東のドバイ対戦が濃厚、と書かれており、結局はアリ側のタイトルコンテンダーとなるプロボクサーは飽和状態で難しいのでは?というのがNYタイムスの記事でした。

挑戦者が飽和状態と書いてはあるものの、実際にこの年アリは5月16日にウルグアイでアルフレッド・エヴァンゲリスタに判定勝ち、9月28日にはニューヨークMSGでアーニー・シェーバースに判定勝ちと2度しか防衛戦をやっておらず、ピークは超えて体力的な衰えが出て来た模様。やはり猪木のアリキックによりフットワークが思うように使えなくなったのか?

翌78年2月15日ネバダ州ラスベガスでレオン・スピンクスに判定負けで王座を転落します。実際はアリが最後の一花を咲かせたのが77年であり、アリのコンディションを考慮すればやはりリスクを伴うプロレスラーとの対戦は避けられたと見るべきではないでしょうか。

※対戦成績は331戦56勝275敗、勝率169。
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