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2024年12月14日09:32

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【特別編】マイティ井上さん追悼(16)

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81年国際プロレスのラストイヤーとなった81年は1月4日、後楽園ホール「新春パイオニア・シリーズ」開幕戦からスタート。

このシリーズ、国際プロレスに79年秋から特別レフェリーとして参加していた鉄人ルー・テーズが、かつて保持していたNWA世界ヘビー級選手権のベルトを優勝者に贈呈するという「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」の予選リーグがスタートしました。

「テーズ・ベルト」は力道山がインターナショナル選手権のベルトのモデルともなった由緒あるベルトで、後年92年UWFインターナショナルのリングで高田延彦が締めることになりますがテーズは同じデザインのレプリカベルトを何本も所有しており、そのうちの1本に過ぎませんでした。

「新春パイオニア・シリーズ」は前期予選リーグで参加外国人は2度目の国際マット参戦となるマイク・ジョージ、ボブ・スウィータン、ジ・インベーダー(ロベルト・ソト)、ベン・アレキサンダー、ハングマン・ジム・スター、レオ・ロペスに7日より途中参戦のホセ・アローヨ。

前期リーグはABCの3ブロックに分けられ、各ブロックの2位が敗者復活のDブロックへ入ることになりました。

Aブロックは寺西勇、マッハ隼人、アローヨ、スウィータンの4選手がエントリーしアローヨが3勝で1位。

Bブロックはアニマル浜口、鶴見五郎、インベーダー、アレキサンダーの4選手がエントリー、浜口が3勝で1位。

最大の激戦区はCブロックでラッシャー木村、マイティ井上、ジョージ、Jスター、ロペスの5選手がエントリー。 

第2戦の1月7日館山市民センターではR木村と井上が予選リーグ戦20分1本勝負で対戦、前半はグラウンドの攻防となりましたが、井上がR木村の胸板にドロップキックを連発、ダウンしたところをサマーソルト・ドロップを2発。珍しく井上が足4の字固めを出しました。井上の短い足がR木村のウィークポイントである足にガッチリ食い込みました。

R木村は必死に堪えギブアップしません。ならばと井上は今度はスピニング・トーホールドの連発で回転を加えていきます。井上がR木村に顔を近づけた時にR木村がいささか強引に首固めに丸め込んで13分42秒、フォール勝ちしています。

1月21日、和歌山・白浜会館ではR木村がジョージにリングアウト負けを喫し4勝ちでCブロック1位。R木村は惜しくも敗者復活Dブロックへ。

タイトルマッチも別途組まれ1月20日、大阪府立体育会館では井上&浜口組のIWA世界タッグ選手権試合にジョージ&スウィータン組が挑戦(61分1本勝負)井上が場外のスウィータンにプランチャを放って16分3秒、リングアウト勝ちで4度目のタイトル防衛。井上は前シリーズに来たメキシコ勢からルチャムーブを盗み、適応力の高さを見せています。

敗者復活DブロックはABC3ブロックの2位3選手によって争われ、R木村、スウィータン、インベーダーの争いとなり2勝を挙げたR木村が1位となりました。

前80年、火災により焼失した国際プロレスの道場兼合宿所は保険金により新しい建物が完成、また初めての香港遠征ツアーも行われました。

次期81年「スーパー・ファイト・シリーズ」は2月27日、横浜文化体育館で開幕。「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」後期予選リーグ戦が行われています。

ここで国際プロレスの団体の存続に関わる悪いニュースが入りました。東京12チャンネルの「国際プロレス・アワー」が3月一杯でレギュラー放送が打ち切りになることが決定しました。

「国際プロレス・アワー」は前年80年10月、毎週土曜日午後8時からに「格上げ」されましたが、TBSの人気バラエティ「8時だヨ!全員集合」の力は絶大で(フジテレビの「オレたちひょうきん族」はまだこの時点では始まっていない)、視聴率は3〜4%台にて推移。

放送時間帯の移行が完全に裏目に出た感じでした。4月以降に関しては、深夜に単発放送を行うということでした。

レイ・キャンディ、ルーク・グラハム、マイク・ボイエッティ、レッド・デビル(ビル・ホワイト)にメキシコEMLLからエローデス、エル・コバルデが参戦。

初来日予定だったイギリスのスキンヘッドの巨漢レスラー、キングコング・コジャック(マル・カーク)がビザの手続きミスという理由で来日がキャンセルとなっています。

後期予選リーグはAB2ブロック制で行われました。Aブロックは井上、寺西、鶴見、大位山勝三、ボイエッティ、エローデスがエントリー。

BブロックはR木村、浜口、マッハ隼人、キャンティ、Lグラハム、コバルデ、Rデビルがエントリー。

Aブロックは井上と寺西が4勝1敗で並び、3月21日越谷市体育館での1位決定戦で井上が寺西を回転エビ固めで破り1位に。BブロックはR木村が6戦全勝で1位。2位は5勝1敗のキャンディ。

ABブロック2位同士の寺西とキャンディが3月23日岩手県千厩(せんまや)町体育館で敗者復活戦で対戦し、キャンディの勝ち。

前期予選リーグのブロック首位のマイク・ジョージとホセ・アローヨ、キャンディの3外国人は決勝リーグ戦へ進出。

日本人選手は前・後期の通算勝敗で出場枠が決定することになり、1位のR木村、2位の浜口、3位の井上、4位の寺西の決勝リーグ進出実現しないまま国際プロレスが崩壊してしまった為、明確には決まらないまま終わってしまいました。

タイトルマッチは3月12日、広島県府中市商工会議所大ホールで井上&浜口組のIWA世界タッグ選手権にメキシコのエローデス、コバルデ組が挑戦。井上がエローデスを押さえて5度目のタイトル防衛に成功しました。

レギュラー放送最後となった3月24日宮城県泉市民体育館ではR木村がキャンディの挑戦を受け、13分8秒、新兵器のグラウンド式卍固めでR木村が14度目のタイトル防衛を果たしました。泉大会の放送は3月28日の土曜日でこの日が「国際プロレスアワー」のレギュラー放送最終回となりました。

「テレビ放送のなくなった団体は存続出来ない。」というのが当時のプロレス界の常識でした。

当時はプロレスグッズ自体も少ない時代ですし、ビデオソフトはまだまだ高値で一般層には普及せず、テレビの放映権料のストップは団体の生命線を断ち切るほどの大ダメージがありました。

4月18日後楽園ホールで開幕の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」にオクラホマ、ルイジアナなどミッドサウス地区のMSWAで武者修行をし、ヘビー級戦士に変身した阿修羅・原が雪崩式ブレーンバスターを引っ提げて凱旋帰国。

雪崩式ブレーンバスターはMSWAでスーパー・デストロイヤー(スコット・アーウィン)が「スーパープレックス」という名称で使っていたセカンドロープからのブレーンバスターでした。

原は公開練習で雪崩式ブレーンバスターを披露、こちらを掲載した東京スポーツ(あるいは九州スポーツか?)を観た新日本プロレスの木村健吾が国際プロレスのシリーズ開幕戦の前日、4月17日鹿児島県立体育館でのテレビ生中継、藤波辰巳とのIWGPアジア・ゾーン予選で使い、藤波が空中で身体を反転させて木村健を押し潰してフォール勝ちしています。

東スポを毎日フォローしている熱心なファンでもなければ木村健が原の技をパクったとは思わないでしょう。

これは性善説なら「他人の技をパクろうとする奴にはバチが当たる」で、性悪説なら「原がやろうとしている雪崩式ブレーンバスターなど、こうすれば潰せる」となりますが、お読み頂いている皆様はどちらの説になりますでしょうか…。

翌4月18日後楽園ホールでの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」開幕戦でヘビー級戦士として凱旋帰国した原はスティーブ・オルソノスキーとシングルマッチで対戦、13分28秒、雪崩式ブレーンバスターを成功させて体固めでフォール勝ちしました。

このシリーズ、浜口が肝炎の為全休、井上とのコンビで保持していたIWA世界タッグ王座は返上となりました。

4月30日札幌市豊平区の中村記念病院でスネーク奄美(本名栄勇)が脳腫瘍の為、29歳の若さで死去。奄美は80年の「新春パイオニア・シリーズ」を最後に頭痛と目まい、吐き気を訴えて欠場、脳腫瘍が発見され、同年3月28日に同病院で手術、7月25日の札幌中島体育センター大会には会場に姿を現し、ジプシー・ジョー&ロッキー・ブリュワー組を破りIWA世界タッグ王座を防衛した井上&浜口組と記念撮影に収まり快方に向かったかと思われましたが再発し帰らぬ人となってしまいました。

偶然か、5月4日には札幌中島体育センターで興行が開催され、R木村&井上組がポール・エラリング&テリー・ラザン組とIWA世界タッグ王座決定戦を行いましたが2−1でエラリング&ラザン組が勝ちタイトル獲得。

アニマル&ホークのザ・ロード・ウォリアーズのマネージャーとして知られているエラリングですが1度だけ選手として日本に来ていました。

R木村に代わって原が井上のパートナーとなり5月13日岩手県一関市体育文化会館でエラリング&ラザン組に挑戦していますが1−1から両チームリングアウトの引き分け。

シリーズ最終戦5月16日後楽園ホールでは金網デスマッチで原&井上組が2度目の挑戦、10分19秒、リングロープを外して原がエラリングの首を絞めてギブアップを奪い、原&井上組が王座奪回を果たしています。

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