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2024年11月28日05:51

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ジャンボ鶴田怪物伝説(1004)

88年全日本プロレス「サマー・アクション・シリーズ」7月27日長野大会でのスタン・ハンセン戦で追ったダメージから、7月29日の高崎大会を欠場した「無冠」になってしまった天龍源一郎ですが、第22戦の7月30日岩手県久慈市民体育館(観衆1,650人発表)大会に強行出場。

セミファイナルで阿修羅・原&川田利明との天龍同盟で決起軍のタイガーマスク&仲野信市&田上明組と6人タッグマッチ45分1本勝負で対戦、今度は欠場明けの天龍を庇う為に原が矢面に立ち、若い決起軍の攻めを受けました。

試合は25分27秒というロングマッチの末、原が田上をヒットマン・ラリアットからのエビ固めで押さえ込んで天龍&原&川田組が勝利を飾っています。

シリーズ最終戦、7月31日は北海道・函館市千代ヶ台陸上競技場特設リング(観衆8,200人満員発表)大会。この大会はグレート小鹿引退記念興行として行われました。

メインイベントは第2代世界タッグ王者チーム、ハンセン&テリー・ゴディ組に前王者チーム、鶴田&谷津嘉章組の五輪コンビが挑んだ60分1本勝負。両チームによる世界タッグ選手権試合三番勝負の最終戦。

この大会はノーテレビでしたが、急拠日本テレビの1カメ固定で収録され、ダイジェストが流されています。

谷津がゴディへ監獄固め。そこへカットに入ったハンセンを鶴田が場外に落とすと、ハンセンはイスを持ち出し鶴田を攻撃。

鶴田を場外に落とすと谷津へもイス攻撃を加えます。ハンセン&ゴディ組はツープラトンのショルダー・タックルにいこうと谷津をロープに振りましたが、場外にいた鶴田がロープに振られた谷津の足を押えてタックルを阻止。

目標を失ったハンセンとゴディはロープに激突。鶴田はハンセンの足を引っ張って場外乱闘で押さえてる隙に、谷津がゴディへジャーマン・スープレックスホールドを決め14分47秒、カウント3が入り、鶴田&谷津組がタイトルを奪回第3代王者チームに返り咲き。ハンセン&ゴディ組は初防衛に失敗、2日天下に終わりました。

五輪コンビは土壇場で世界タッグベルトの海外流失を防ぎました。

セミファイナルは決起軍対天龍同盟、タイガーマスク&高木功&田上組が天龍&原&サムソン冬木組と6人タッグマッチ45分1本勝負で対戦、22分35秒、原が田上をヒットマン・ラリアットから体固めで倒し天龍同盟に軍配が上がりました。

セミ前は馬場&輪島大士組vsラッシャー木村&鶴見五郎組の国際血盟軍がタッグマッチ30分1本勝負で対戦、13分48秒、輪島が鶴見を2段式ネックブリーカー・ドロップ(ラリアットを打ってから相手の頭を離さず揺さぶりをかけてマットに叩きつける技)からの体固めでフォールし、馬場&輪島組の勝利。

馬場の試合の前に小鹿の引退セレモニーが行なわれています。小鹿は本名小鹿(正確にはこしか、と読む)信也。1942年4月28日北海道・松前郡松前町出身の当時46歳、59年大相撲出羽海部屋に入門するも62年廃業し日本プロレスに入門。63年デビュー。小鹿雷三のリングネームで試合をしていました。

力道山死後の67年には大熊元司との「極道コンビ」でアメリカに武者修行に出発。反日感情の強いテネシー州でヒールとして活躍。大熊がホームシックにかかり帰国した後もフロリダ、デトロイト、ロサンゼルスで活躍。デトロイトでは後からアメリカ武者修行に来ていた坂口征二とタッグを結成、ロサンゼルスでは69年12月19日オリンピック・オーデトリアムでミル・マスカラスを破り、NWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得しています。

70年9月の「NWAタッグ・リーグ戦」に凱旋帰国。吉村道明とのコンビでエントリーし、ニック・ボックウィンクル&ジョニー・クイン組、アーニー・ラッド&ロッキー・ジョンソン組と激闘を展開。

71年12月の猪木日本プロレス除名・追放処分となったクーデター事件では反猪木派のポジションで暗躍しています。

猪木、馬場が相次いで抜けた日本プロレスに残留、73年3月3日大阪・近大記念講堂での吉村引退試合にて吉村が返上したアジア・タッグ王座決定戦に松岡巌鉄と組んで出場。キラー・カール・クラップ&クルト・フォン・スタイガー組を破り王座を獲得。日本プロレス崩壊時は最後まで残り「残党」として同年4月に百田家の仲介により馬場の全日本プロレスに合流。

73年にアメリカに遠征、当時全米で大流行していたブルース・リーのカンフー映画「燃えよドラゴン」に因んでカンフー・リーを名乗りテキサス州アマリロでヒールとして活躍し74年9月「ジャイアント・シリーズ」に凱旋帰国を果たしました。

75年2月、先に全日本プロレスに旗揚げメンバーとして参加していた大熊がカナダ・ノバスコシア地区の遠征から帰国すると、全日本プロレスのリングで大熊と「極道コンビを」再結成。

高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)&サムソン・クツワダ組の「オーストラリア遠征コンビ」との抗争はセミ前の名物カードとなりました。

76年3月26日韓国・ソウル市文化体育館では全日本プロレスによって復活したアジア・タッグ王座決定戦に前王者として、松岡に代わり大熊との極道コンビで出場、金一道場の呉大均&洪武雄組2−1で破り3年ぶりに同王座返り咲きを果たし、2日後の3月28日蔵前国技館で行われた全日本プロレスと国際プロレスの全面対抗戦では国際プロレスの看板タイトルであるIWA世界タッグ王者チーム、グレート草津&マイティ井上組とダブル・タイトルマッチで対戦し1−1で引き分け。

「国際プロレスのIWA世界タッグ王座は全日本プロレスのインターナショナル・タッグ王座と同一レベルに非ず、中堅ベルトのアジア・タッグ王座と同格」という印象をファンに与え、以後対抗戦のマッチメイクの一つの物差しになりました。(この項続く)
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