UWFは7月23、24日の両日に後楽園ホールで無限大記念日と銘打った2DAYSの興行開催を発表していましたが、この大会には前田日明、ザ・タイガー、藤原喜明、高田伸彦、山崎一夫にラッシャー木村、剛竜馬、マッハ隼人と8人の日本人選手が参戦することになり、チケットは2日間とも爆発的な売れ行きを見せました。
8人いれば、シリーズが組める。UWFでは8月29日高崎市体育館から9月11日後楽園ホールまでの2週間、「ビクトリー・ウィークス」と題してシリーズ第2弾を開催することを発表しました。
僅か1か月前には、団体存続不可能と判断され、新日本プロレスへの吸収合併話が持ち上がっていたUWFは完全に息を吹き返した訳です。
新日本プロレスの野毛道場の強さの象徴であった藤原、次代を担う次期スターとして期待の高かった高田の退団は新日本の求心力を大いに低下させる結果になりました。
UWFの伊佐早敏男企画宣伝部長は「新日本プロレスのサマー・ファイト・シリーズ(6月29日後楽園ホール〜8月2日蔵前国技館)が終わったら、さらに何かが起きる。」と更なる離脱者が現れることを暗に示すような発言をしています。
6月30日には、第1回となる新人入門テストが行われ、中野龍雄(当時19歳)、広松智(当時22歳)他全8名が合格。世田谷にあった第一自動車運送の後援を得て、用賀に道場と合宿所も借りることが出来ました。
中野は81年に崩壊寸前の国際プロレスに入門テストを受けた経緯があり身体も出来ていました。
ザ・タイガーのUWF参戦の際、タイガージム会長であったショウジ・コンチャは条件として「新間の排除」を呈示しており、新間が猪木を連れて来ることが出来ず、引責辞任のような形でプロレス界から去ったのをいいことに、コンチャはUWFにタイガーの売込みをかけました。
その前にはタイガーを馬場の全日本プロレスに売込んでいましたが、金額を高くふっかけていました。
馬場は「あれだけの技量の持ち主だから」と一度は獲得に向けて動いたようですが、コンチャの胡散臭さを見抜いたか、提携発表する前から水面下で新日本プロレス興行社長の大塚直樹に相談していました。
大塚は「佐山は確かに有能な人材ですが、その値段ならやめた方がいいです。それなら自分達で新しいタイガーマスクを作りましょう。」とアドバイスしています。
結果、馬場はタイガー獲得は見送り、メキシコ遠征中でカミカゼ・ミサワのリングネームでルード修行をしていた三沢光晴に国際電話をかけ「お前、コーナーポストの上飛び乗れるか?」 という打診をしたのは有名なエピソードです。
「84IWGP」最終戦からシリーズオフにかけての僅か2週間で激震が次々と発生、様々なマイナス要因が重なった新日本プロレスは6月29日、後楽園ホールから「サマー・ファイト・シリーズ」が開幕。
デビッド・シュルツ、バッドニュース・アレン、WWFジュニア・ヘビー級王者のダイナマイト・キッド、デービーボーイ・スミス、カネック、バディ・ローズ、リック・オリバー、マイク・デービスの外国人選手がシリーズ全戦参加。日本側はNWA世界ジュニア・ヘビー級王者ザ・コブラが1月の新春黄金シリーズ以来4シリーズぶりの参加。
また、助っ人として82年6月のサマー・ファイト・シリーズ以来実に2年ぶりとなるヒロ・マツダが特別参加しています。
シリーズ最終戦の8月2日、蔵前国技館はこの年の大相撲秋場所を最後に閉館、取り壊されることになっており、翌85年初場所からは両国に建設中の新国技館に移転が決まっていました。
54年2月19日、日本初のプロレス国際試合、力道山、木村政彦組vsベン&マイクのシャープ兄弟との試合から31年半、様々な名勝負を生んできた蔵前国技館が老朽化により閉館のニュースはファンを大いに寂しがらせました。
特に猪木は新日本を旗揚げして以来、数多くの名勝負を蔵前のリングで行っており、まさに昭和・新日本プロレスを代表する会場でした。
新日本プロレスと蔵前国技館といえば74年3月19日、12月12日の2回に亘って対戦した猪木vsストロング小林のNWF世界ヘビー級選手権試合、「昭和巌流島の決戦」がその代表格と言っていいでしょう。
新日本プロレスの2日前の7月31日には全日本プロレスが蔵前国技館ラスト興行を開催することになっておりました。
最後の蔵前の対戦カードは猪木vsシュルツ、コブラvs小林邦昭のNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合と発表されていました。。
「サマー・ファイト・シリーズ」開幕戦から出場停止処分を受けていた長州でしたが、6月29日、後楽園ホールの谷津嘉章vsデビッド・シュルツの試合前にタイツとシューズというコスチューム姿で登場し、試合をさせろとアピール。
新日本プロレスではこれを受けて7月2日、和歌山県立体育館から処分を解き、長州を試合に出場させています。
この日長州はセミファイナルで谷津と組んでシュルツ、リック・オリバー組と対戦、長州がリキラリアットでオリバーを体固めに決めての勝利。
実際の処分はあってなきが如しだった訳で、6月14日蔵前国技館での暴動騒ぎもこの後、結局はリング上のアングルに昇華されてしまい、これでうやむやにされてしまい一件落着のような感じでした。
もっとも、出場停止処分にしておきながらも新日本プロレスでは7月20日、札幌中島体育センターで藤波と長州の試合(藤波が7月5日、大阪府立体育会館でカネックに勝った場合はWWFインターナショナル・ヘビー級選手権試合)を発表しており、最初から試合に出さないつもりはなかったと言えます。
7月5日、大阪府立体育会館は8,500人超満員発表の観客を動員。
この日、藤波はカネックとWWFインターナショナル・ヘビー級王座防衛戦を行うことが発表されていましたが、「無法乱入をした長州は俺が制裁してやる。20日まで待つ必要なし」と、カネック戦の後(藤波が防衛すれば)長州ともタイトル戦を行う、と日本プロレスリング・コミッショナーと猪木に対し「1日2試合の防衛戦」を志願しました。
コミッショナー裁定はこれを却下しましたが、猪木は「長州との試合はノンタイトルなら」との判断を下し、藤波はカネックとタイトル戦を行った後、長州とノンタイトルで対戦、1日2試合行うこととなりました。
この日、長州はまず第6試合でアニマル浜口と組んで、オリバー&デービス組とタッグマッチ30分1本勝負で対戦、オリバーを7分58秒、リキラリアットからので降しました。
第7試合はザ・コブラにダイナマイト・キッドが挑戦したNWA世界ヘビー級選手権試合。
WWFジュニア王者のキッドでしたがこの日はダブル・タイトル戦とは成らず。キッドが先制攻撃で試合の主導権を握りましたがコブラもフライング・ニールキックで反撃。
キッドのツームストーン・パイルドライバーはコブラがカウント2でクリア。場外に転落したキッドにコブラが勝負を賭けたプランチャを見舞いましたがこれはキッドに見られて自爆。
試合はそのまま場外戦となり両者リングアウトの引き分けとなり、コブラが2度目の防衛に成功しています。
セミファイナル(実質的にはセミ前か?)は猪木、坂口組がシュルツ&アレン組に反則勝ち。
変則ダブル・メインイベントはまず藤波がカネックの挑戦を受けてWWFインター王座の防衛戦。
刺身のツマ的扱いを受けてプライドを傷つけられたカネックはいきなりトペの奇襲、しかしこの後長州戦を控えた藤波は負ける訳にはいかず、カネックのダイビング・セントーンを自爆させるとバックドロップからの体固め。
10分41秒、藤波が王座防衛に成功しています。続いて藤波と長州のスペシャルマッチ60分1本勝負。
インターバルがあり、格下外国人選手相手のタッグマッチだった長州の方が体力的には上回り、連戦の藤波は劣勢を強いられました。
しかし、藤波は掟やぶりの逆サソリを先に仕掛けていきました。長州もサソリで反撃。藤波の雪崩式ブレーンバスター、長州のバックドロップの応酬。
長州が何を思ったか、突然鋏を持ち出して藤波の額を攻撃、藤波は額から流血。なおも鋏を使うのを止めない長州は割って入ったレフェリーのミスター高橋にも暴行を加え、9分46秒、長州の反則負けとなりました。
試合後は猪木もリング内に入り両者を制止。長州は明らかに苛立っており、1日2試合は後味の悪い結末となりました
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